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2016.01.31 Sunday
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    インド研修〜7日目〜その夜

    2014.05.15 Thursday 14:29
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      そう言えば今日はクリシュナの誕生日、
      昨日教わったニケタンのプージャとアラティーは既に終わっておりました。。。。

      ちょうど終わって間もなくだったので、通りは人でごった返しておりました。

      終わってはしまいましたが、やはり気になるので会場の方に行こうとの話だったが、先ずはホテルへ寄ります。
      前回も言った通り、レストランでは注文してから出て来るまでが異常に長いので、どうせなら先に注文してから、時間を合わせて帰ってくれば良いという事を7日目にして大発見。
      レストランのスタッフに伝えると、可能な様子。
      時間は何時と聞かれたので、いつも待たされる1時間後位を設定したら、その時間は既に予約の人が居るから、もう少し早い方が良いと。。。それじゃいつも待たされる時間より早いけど大丈夫なの?と聞くと大丈夫との事。。。ホントかよとか思いながら、レストランを後にする。。。

      ニケタンのアラティー会場に降りていく。
      途中会場で使ったであろうスピーカー等を引き上げるインド人ローディー達に邪魔者扱いされたりなんかして。。。
      機材第一。。。こういう所はなんか日本のローディーも一緒だね。

      まぁそんなこんなで、会場の中へは靴は脱がなくてはいけません。


      奥に見えるのが・・・

      暗くて分かりませんね。。。。

      ハヌマンです。


      ラーマへの忠誠の証にむねを切り裂きはラーマとシータの像を示したという伝説の通り、胸にラーマとシータの像が。。。けっこうグロテスク。。。



      アラティーの後。。。



      川辺に揺れる炎。。。



      そんな感じでリシュケシの夜は更けていきます。


      そしてあまり期待せずにレストランに入ると、何と料理が用意されているではないですかっ!!
      スタッフもしたり顔でこちらを見て笑っています。
      『やれば出来んじゃん!!』等と言いながら食事をしていると、
      他の客、クリシュナの誕生に合わせて来たお客さんだろうか団体客がテーブルで待っていたが、待てど暮らせど料理が来ないので、出て来るのを待たず、少し怒りながら帰っていきました。

      相変わらず、やる事がぶれない。。。
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      インド研修〜7日目〜

      2014.05.12 Monday 15:26
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        元々インドに来る前の日に高熱出して寝込んでいた北川さんは、インドに着いても暫くは引きずっていましたが、何とか復活して、朝のヨガにも出るくらいでした。
        それは多分リリー先生の献身的な介護があってのこと。。。。
        食事の際、インドと言えばラッシーという事でレストランで注文したら
        『病み上がりにそんな物飲むんじゃありませんっ!!』と怒られ。。。。
        またある時は、チャイを頼んでも
        『病み上がりにインドの水を沸かしたもを飲むんじゃありませんっ!!』と怒られ。。。。。(悲)
        飲みたいの飲ましてあげれば。。。と言ってみたけれども、断固として飲ましてもらう事は許されないようでした。。。。
        そんなリリー先生の優しさ溢れる体調への気遣いに、北川さんも元気を取り戻したようでした。

        ここ最近ではカレーにも飽きて来て、カレーではない物を食べようと、パスタ(一応イタリアンとか中華とかイスラエル料理がメニューにはあります。)とか食べてみたけど、やはりどれも食事は重く(パスタもトマトのクリーミーなソースがタップリ掛かっていて、基本的に野菜があまり入っていないので、単一な重い味の一皿となっています。)それでも色々試している頃でした。
        朝のナーダ・ヨガの練習後、パドミニ先生が気を利かせてくれたのか、ラクシュマンジュラの方においしいお店があるとの事で連れて行ってくれました。

        リクシャーもパドミニ先生のお陰ですぐ見つかります。当然料金も正規の値段の一人5ルピー。パドミニ先生は流石だなと思う瞬間でもあります。
        パドミニ先生はレストランまで案内すると、一人アシュラムに戻って行きました。(お〜い)

        初日に寄った雑貨屋の上にあるレストランでイスラエル料理のパラフェルとミントティー。。やっと重い料理から解放されました。。。。

        デザートもおすすめです。マヒロ先生は別の日に来たときもまた頼んでいました。

        レストラン屋上にも登る事が出来ました。中央に見えるのがラムジュラの橋です。このレストランは地図的にはラクシュマンジュラと中間地点にありますが、リクシャーでラクシュマンジュラまでと言うとここで降ろされます。



        今回は初日のパドミニ先生の案内の時とは、逆方向でラクシュマンジュラの橋へと向かいます。
        初日の曖昧な記憶を頼りに進んでいくので、気がつくとここは違うだろという場所にぶち当たります。

        後ろの老人がカメラ目線!!

        リリー先生以上に笑顔

        目が合ったりなんかして。。。



        なんとかラクシュマンジュラに到着。




        ラクシュマンジュラの袂のカフェに寄りちょっと休憩しながら、この後の相談。
        前回サリーを買ったものが出来上がって、サリーのお店の息子が開いているお店に18時に届いているはずだからという話があり、取りにいかなくてはという話があってそれに合わせて戻ろうという話になり、橋を渡っていると時間が微妙だと言う話になって、折角ここまで来て引き返します。

        引き返しながら、途中の店を物色。
        マヒロ先生は鼻ピアスを探していました。というのは昔インド雑貨店で売っていた鼻ピアスはピンが細く、湾曲している物だったのが、最近はピンが太く、真っすぐな物しか無く、本場のインドならと探していたのです。
        が、やはりインドでも求めていた物は見つからないようでした。

        そんな商店が並ぶ細い路地の階段を抜け暫く歩いているとリリー先生が気がつきました。

        帽子が無いっ!!

        記憶ではその細い路地の階段の途中で立ち寄ったお店では持っていた記憶があるとの事。
        待たなくていいから、先に行っててとのこと。。
        折角登った階段をまた降りて登るのはどうもというのがあり、お言葉に甘えて。。。

        細い路地の階段を上った所にホテル・ニルヴァーナ発見っ!!
        泊まっているホテルとは全く関係ありませんが。。。


        お昼に寄ったレストランの1Fの雑貨屋に寄って、見ているとリリー先生達が到着。
        帽子は見つかったとの事。聞けば。。。。

        寄ったお店に行ったり、一旦階段を下まで降りても見つからず、再度登っている途中で発見したとの事。

        脇の側溝の中で・・・・
        特に激しく汚れている訳では無いのだけれどもとにかく

        臭い・・・らしい
        持っていたビニール袋に入れて、帰ったら洗濯するらしいです。

        で、再びリクシャーに乗ります。
        やっぱりパドミニ先生が居ないからなのか、そう言う物なのか乗り合いで一人10ルピー
        下りの方が楽な気がするけれども・・・
        乗り合いで同乗するのはネパール人らしきのオバァちゃん達、自国の言葉で色々話しかけてきますが、さっぱり分かりません。
        こちらが何か言うたびにケラケラ笑っていて、とても楽しそうです。なんだかんだとホッコリする場面だったりします。

        さてラムジュラに到着して、息子のお店に向かうと
        ???聞いてないよ・・・との事。
        翌日パドミニ先生に聞いたら、そんな感じで受け渡せば良いねで話が止まっていたらしいです。


        そんな事は関係なく再び二人の買い物が始まります。


         
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        インド研修〜6日目〜まだ6日目?

        2014.05.09 Friday 10:45
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          そう、まだ6日目なのだ。

          マハリシのアシュラム跡からホテルに戻って来て来たのが、18:00。。。
          以前サッチンからニケタンのアラティーは有名だよと言われてて、まだ行ってないのくらいの事を言われていたので、
          このタイミングで行く事に決定。

          チョー人だかりのアラティーです。子供達のチャンティングが始終流れています。



          このアラティーの前にこちらの会場では、高名な先生のレクチャーが行われていましたが、ヒンドゥー語なので何言っているか分かりません。同時にキルタンも行われていて、タブラの演奏もあり近くで見たかったのだけれどもあまりの人だかりで前に進めず断念。このレクチャー終了後、会場の人が大移動して先程のアラティー会場に。写真は大移動後。



          次第にガンガを夕闇が包んでゆきます。


          アラティー後もう一度レクチャー会場に行くと、一般人は最前列には行けないよう柵がしてあり、この最前列部分、いわゆるアリーナ席は、いる人のサリーを見てみてもかなりの金持ちしか居ない事が判明。それにしても散乱するペットボトルの量が。。。


          そして中にヘナタトゥーの女性を発見

          聞くと主催者の方でした。。。翌日はクリシュナの誕生日だからもっと盛り上がるわよっとの情報ゲット!
          行くしか無いっ!!


          ホテルについてからも



          と、、、、、


          ここで終われば良いのだが、事件はまだ続く。。。。
          ホテルのレストランで皆で食事という事になり、部屋に荷物を置いてレストランに集合。
          ちなみに、このホテルの唯一の欠点はレストランで、注文してから出て来るまで異常に時間が掛かるのだ。大体1時間位。。。
          おまけに部屋ごとに会計を別にしてと毎回言っても合算したり、皆が同じ物を食べたいという事になって、一人が4人分頼んだらその人に全部会計付けられたりなど、色々問題があるのだが、どうしてもここで食べなくてはいけない状況になっていたのだ。

          というのもインドは現金主義でカードが使えない。カードが使えるのがホテル等一部のレストランで、物価も安いから、そんなに現金は必要ないとの前情報を基に、そんなに現金を用意していなかった。
          普通の観光なら特に問題ない額だったのだが、僕たちはナーダヨガの先生にもお金を払わなくてはいけないのと、Dohlakを買わなくてはいけないのと、一番響いたのがサリーを現金で買ってしまった事で、現金が足りなくなってしまったのだった。
          ちょっと頼りにしていたリリー先生も同じく現金でサリー買ったり、同じくそんなに現金要らない情報を基に大金は持って来ていなかったのだ。
          チェックアウトの時にまとめてカードで清算出来るので、仕方なくこのレストランを利用していました。

          家に行けばあるのに〜と思いながらその状況に一同、ドヨ〜ンとなっていました。

          ということでカードキャッシングできるかもという希望でリシュケシにもATMがあったので、日中ボクのカードでやってみたのですが上手くいかなくて他の方法を考えている最中、どこかでクレジットカードを落としてしまったのでした。

          多分ニケタンのアラティーの時というのは分かっていたのですが、既に暗闇の中、うんこを気にしながら探しにいくのも・・・という状況なので諦めて、とりあえずカードを止めて使用された形跡がないのと、仮に使おうと思ってもリシュケシでは使える場所がないので安心だったのですが、落としてしまった事実にマヒロ先生から嫌みを言われ、ボクは更にドヨ〜ンとなっていくのでした。

          怒られるボクを見てリリー先生も北川さんも更にドヨ〜ンとしています。

          それを見てボクは更にドヨ〜ンとなってきます。
          ドヨ〜ンのループ現象。。。。。
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          インド研修〜6日目〜マハリシのアシュラム

          2014.05.08 Thursday 11:39
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            マハリシのアシュラムから見るサンセットが素晴らしいとの情報を基に、ニルヴァーナ・ホテルのマネージャーのサッチンさんと相談して4:30にホテルを出発するとちょうど良いとの事でホテルのレストランで待ち合わせ。早速出発です。

            北川さんがウェブで調べた情報ではホテルから結構距離があるとの話、
            そんな中、町と反対方向の山道に入っていきます。
            サッチン自ら案内するのだから、きっと車かなんかで行くのかなと思っていたら、

            歩いていくとの事。。。undefinedundefinedundefined

            炎天下のビーチを歩き疲れていた後だったので、また歩くのか。。。と思いながら、草履じゃなくて運動靴履いてくれば良かった等と考えていました。

            獰猛なモンスター達がボクらの前を遮ります。


            途中の山道には牛の頭部の骨や背骨等が落ちています。悲鳴を上げるマヒロ代表。。。undefinedundefinedundefined

            サッチン曰く野良牛達の骨で、弱ってくると人が居ない此処に来て最後を迎えるのだそうです。

            そんなこんなしていると、あっという間にマハリシのアシュラムに到着。意外と近くてビックリ!





            こんな瞑想小屋が100以上あります。


            そしてジョン・レノンが使用した瞑想小屋がこちら。ジョンが好きな数字が9だったらしく小屋の番号も9です。探すのも楽。


            建物は2階構造。中は落書きだらけ。。。


            2階はドーム型。本来はこんなペイントはされていませんよ。


            2階の窓から屋上に出られます。屋上部分で隣の小屋と繋がっています。


            ポストなんかもあったりします。


            廃墟ながら、管理はされていてゴミが散乱している事はありません。


            レクチャー・ホール。リリー先生講義中?



            天井は今にも落ちてきそう。。。


            そこから先に進み宿泊施設を横目に通り過ぎます。




            瞑想施設の入り口。

            そして地下の瞑想施設に入ります。マヒロ先生ビビっとります。

            手前の4つの部屋でビートルズの4人が瞑想したそうです。





            その後はマハリシ邸へ


            廊下天井に見える空調の配管。意外と近代的。

            ガンガを一望出来るなんて、当然ながら良い所住んでいたようです。



            マネージャーのサッチンはこのアシュラムで生まれたらしく、本当か嘘か分かりませんが、マハリシが瞑想しながら数分間空中に浮いていたのを3度見たと言っていました。将来的には仲間とこのアシュラムを整備してちゃんと公開出来るようにしたいと言っていました。
            また別の情報ではファイブスター・ホテルを建てる計画もあるらしいので、そうすると小綺麗に整備されてしまうかも知れません。この感じを味わうのは今しかないかも。。。

            ちなみにマハリシとビートルズについてどっかのサイトから引っ張って参りましたので、興味がある方はどうぞ。

            マハリシとビートルズ:本当は何があったのか?
            筆者:トム・マッキンレイ・バル

            ビートルズは1968年にマハリシと出会い、リシケシでマハリシと数週間を過ごし瞑想を学んだ。ビートルズとマハリシの交流について、マスコミでは多くの報道がなされ、インターネットでもその話題が取り上げられている。けれども多くの人々は、ビートルズがマハリシや超越瞑想の世界的な運動に影響を与えた以上に、マハリシがビートルズに影響を与えたことについては何も知らない。

            マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは2008年2月5日に逝去した。ビートルズがリシケシを去ってからおよそ40年後のことである。ジョン・レノンはマハリシに再び会うことはなかったが、何年か後に電話を通して、彼の若気の至りが起こした不幸な出来事についてマハリシに謝罪した。その出来事とは、マハリシが不正行為を犯したという非難をジョンが公然と行ったことだが、それはマハリシにとってまったく謂われのない非難であり、すべてはジョン自身の激しい気性から起こった出来事のようだった。

            000147e810dr.jpg「僕は今でもTMをしている」と、後年ジョージ・ハリソンは語っていた。「マハリシは僕らのためになることだけをしてくれた。あの時以来、僕の体はマハリシから離れたところにいたけれど、心は決してマハリシから離れたことはない」。一九九二年、ジョージは英国における超越瞑想とその他の「意識に基づく」プログラムを支援するために慈善コンサートを開催した。

            ポール・マッカートニーとリンゴ・スターも瞑想を続け、二〇〇九年四月には、超越瞑想の学校導入を促進するための慈善コンサートを開催した。「クレイジーな60年代の終わり、自分を安定させる何かを探し求めていた時に瞑想と出会った」とポール・マッカートニーは語っていた。「それ以来、僕は40年間瞑想を続けている。狂乱のただ中にあっても、瞑想のおかげで平穏な時間が得られるようになった」。

            リンゴ・スターも次のように述べていた。「瞑想はマハリシからの贈り物だ。これまで人からもらったものの中で、本当に大切だと思えるものは少ない。瞑想は、その数少ないものの1つだ」。

            ビートルズを甦らせた「超越」の体験

            maharishi_withbeatles.jpgマハリシの逝去に際して、ニューヨーク・タイムズはビートルズとマハリシの交流を「再評価」する記事を掲載した。長い歳月が過ぎた後にマスコミがようやくこの件を正しく伝えるようになったのは喜ばしいことだ。

            「インドでの経験」、すなわちビートルズがマハリシと共に過ごして超越瞑想を実践したことで、ビートルズの創造性はせきを切って流れ出し、そして「彼らはマンネリ状態に陥ることの恐怖から抜け出した」とタイムズの記事は報じている。

            その記事はさらに、マハリシと過ごした時期はビートルズの人生でもっとも生産的な時期であったと表現し、次のように記している。

            「マハリシと出会う前、ビートルズは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』をリリースしていた。そのアルバムを作ることの意義のひとつは、ビートルズであるというストレスから生じた不活発な状態に打ち勝つために、ビートルズではない架空のバンドを装うことにあった。このアルバムにはビートルズのもっとも素晴らしい音楽が何曲か入ってはいるが、アルバムに入れる他の曲を作るのに苦心惨憺していた。だが、リシケシで過ごした後、ビートルズは持てあますくらい多くの新曲を生みだすようになっていた」。

            ビートルズ通の人々や音楽制作者たちの多くが、「ホワイト・アルバム」をビートルズの最高傑作と考えている。だが、ビートルズのインドでの経験、そして「内面から変わる」ことの影響が、彼らの創造性と作詞能力を高めたことに気づいている人は少ない。マハリシの教える瞑想法は、すべての人の内側に備わるエネルギーと創造性の無限の宝庫を利用するための方法である。活力を取り戻し、創造性を高める「超越」の効果をビートルズが立証してから40年。現在では、何百もの科学的研究が、超越瞑想を通じて創造性が刺激され、人生のあらゆる面に効果がもたらされることを証明している。

            しかし、ビートルズのインドでの経験に関するマスコミの報道は、ジョン・レノンがマハリシのアシュラムから突然退去したことをめぐる扇情的なエピソードに関するものがほとんどであった。

            本当は何が起こったのか?
             
            Beatles---The-White-Album-Poster-C10030208.jpegほとんどの報道記事では、ビートルズが去ったのは彼らが幻滅したからであるとしていた。ビートルズ自身も、去った理由についてそれぞれのメンバーがいろいろなことを語った。最近、タイムズ・オブ・インディアは、瞑想のコース中にビートルズがドラッグを使用したためにマハリシが彼らに退去を求めたのだというジョージ・ハリスンの談話を掲載した。

            ただ何かしらジョン・レノンを不機嫌にさせる出来事があったことも間違いない。レノンは、「セクシー・サディー」という曲の中で、マハリシを過激に批判する言葉を入れた。レノンの非難についてマスコミは大げさに騒ぎ立てたが、マハリシが不正な行為をしたという主張は、結局なんの根拠もないことが明らかになった。

            1980年にレノンが亡くなって数年後、ハリスンとマッカートニーはマハリシへの非難について公の場でコメントした。マッカートニーは、不正行為というのはアレクシス・マーダスによって立てられた噂であり、「マーダスは発明家という触れ込みのペテン師で、ビートルズの内部関係者の中に入り込んできた男だった......」と語っている。多くの消息筋によれば、マハリシの不正行為という噂は全部彼がでっち上げたものであり、不幸なことに、レノンはその噂にだまされてしまったのだ。ジョン・レノンの最初の妻であるシンシア・レノンも、その噂はビートルズがマハリシから影響を受けるのを邪魔しようとしてマーダスが捏造したのだと自伝の中で述べている。

            ハリスンは後年、「今となっては昔のことだが、あってはならないことが起こっているという噂が持ち上がった。だがそれはまったくのデマだった。... その当時は少し変な連中がまわりにいて、ボクらもそんな連中の一人だったのさ」と語っている。

            マッカートニーも自伝の中で同じように語り、またマハリシの逝去の際に公表した声明の中では、こう述べていた。「マハリシの永眠に深い悲しみを感じてはいますが、彼との思い出は楽しいものばかりです。彼を想うとき私はいつも微笑みを浮かべることでしょう。」

            001.jpgビートルズの中では瞑想への「入れ込み」が最も少ないと言われていたリンゴでさえ、著書の中で、今でもマハリシから授けられたマントラを使って瞑想していること、そして、リシケシで過ごした時期が彼の人生で最高の経験の一つだったことをつづっている。二〇〇八年二月、リンゴはマハリシについてこう語っていた。「私が人生の中で出会った最高の賢者の一人がマハリシだった。私はいつも、彼が喜びに満ちていることに感銘を受けていた。」

            ザ・ヒストリー・チャネル: 記録を正す
            誰が誰に影響を与えたのか

            瞑想の教師としてマハリシが大きな成功を収めたのは、ビートルズのおかげだろうか? それとも、マハリシの業績は彼自身の教師としての能力の結果であり、TMが人々の人生にポジティブな影響を与えてきたからだろうか? 

            50年にわたって超越瞑想は世界中の何百万人に教えられてきた。そして、ハーバード大学メディカルスクール、 UCLA、スタンフォード大学、イェール大学など230以上の研究機関で、600件を超える科学的研究が行われてきた。こうした研究によってTMの効果が証明された現在、超越瞑想の成功の原因を一組のロックバンドだけに帰するのは無理な見方というものだ。アメリカ国立衛生研究所は、脳機能や心血管系の健康に及ぼす超越瞑想の影響を研究するために、これまで2400万ドルの資金を提供してきたが、こうした研究はロックンロールとは何の関わりもない。そんなことで、これだけの資金が提供されるわけはないのだ。

            ビートルズが関与したことで、マハリシと超越瞑想に一般の注目が集まったのは確かだが、それらの報道はマハリシに対して批判的なものが多かった。長い年月が過ぎ去り、今では超越瞑想がビートルズのおかげで「成功」したのではないことは明らかである。

            002.jpgそして40年を経た今、ビートルズは再び人々を瞑想に導いている。ポール・マッカートニーは、超越瞑想を学生たちに普及させるために「変化は内側から始まる」と銘打った慈善コンサートを催した。このコンサートは2009年4月に、ニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールで開かれ、シェリル・クロウ、ドノヴァン、ベン・ハーパー、モービー、ポール・ホーン、ビーチボーイズのマイク・ラブ、パール・ジャムのエディ・ベッダー、その他多くのアーティストが出演した。

            オノ・ヨーコさえも観客席の中にいた。彼女は『ローリングストーン・マガジン』の取材を受けてこう語っている。「ジョンがもしここにいたら、まっ先に、マハリシの世界への貢献を認めて、感謝を捧げていたと思うわ」

            ビートルズの曲の中には、マハリシからインスピレーションを受けて生まれた、ポジティブな曲もたくさんある。「アクロス・ザ・ユニバース」もそうした曲の一つであり、ジョンはこの曲の歌詞を彼の生涯で最高の作品だと考えていた。

            「地上の天使」

            Maharishi-Mahesh-Yogi.jpg過去にいろいろなことが起こったが、マハリシがビートルズに反感を抱くことは決してなかった。一九九一年にハリソンがオランダにいるマハリシを訪問したという記事がタイムズ・オブ・インディアに掲載されたが、その記事には次のようなエピソードが紹介されていた。

            ビートルズ伝承によると、ビートルズがアメリカのテレビに初めて登場したとき、その時間帯にはアメリカでほとんど犯罪が起こらなかったという。「私がこの話を聞いたとき」と、マハリシは訪問中のハリソンに言った。「ビートルズは地上の天使のようだと思いました。ジョンが何を言ったか、何をやったかは大したことではありません。私には天使に腹を立てることなどできません」。マハリシから、このような無邪気で心温まる返事を聞いたとたん、ジョージは泣き崩れて嗚咽した。

            マハリシは五〇年以上にわたって、生命の本質について詳しく説いてきた。しばしば「意識の分野のアインシュタイン」と呼ばれるマハリシは、失われていた瞑想の技術を復活させ、その瞑想の効果を科学的な実験によって証明してきた。有史以来、一つの瞑想法がその教師の存命中に六〇〇万人の人々によって学ばれ、そしてそのような証明可能な効果を生み出したという記録は他には存在しない。

            そしてマハリシは、ビートルズの心と理性を、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」よりもはるかに素晴らしい真実へと導いた。その真実が彼らの人生を永遠に変えたのだ。
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            インド研修〜6日目〜トリオ・ザ・インド

            2014.05.03 Saturday 11:42
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              午後はリリー先生達とビーチに行きます。
              ビーチと勝手に言っていますが、海では無いのでビーチではないのかも知れません。
              ただ川辺が砂浜の部分が点在していて、特に砂浜の部分が広い場所に今回は宣材写真を撮りにいく事となりました。

              砂浜にももれなく野良牛。。。

              通り過ぎる時に気を抜いていると、ベロ〜と舐められます。


              地元民だけでなく、他の地域から観光客なのか、結構賑わっています。


              ラムジュラの橋のすぐ側。リシュケシは地図でみても、とても狭い範囲で1日あれば歩いて全部廻れる位です。


              絶好のロケーションでの撮影です。WSのポスターに使えそうなのが沢山撮れました。




              撮影をしていると日本人が珍しいのか、勝手に写真を撮られます。
              そうこうしていると学生風の3人組が一緒に写真を撮って欲しいと声をかけてきました。
              シク教の方々でインド人のイメージはコレと言われる位の頭にターバンを巻いた人たちです。

              トリオ・ザ・インド(勝手に命名)

              来月日本で芸人デビューするらしいです。
              (ウソですが)
              狙ったかのような三人とも原色色違い!キャラもちゃんと立っています。
              俺は座って撮りたいとか俺は立って撮りたい等3人で言い合っているのがコントのようで笑えました。

              撮影は広いビーチの中で場所を変えながら、進んでいきました。
              強い日差しの中、このまま川に飛び込んでしまいたい位でしたが、川の水はやはり冷たいので断念。
              というよりはパンツ一丁になるのは、ちょっとというのがあり、次回は水着を持って来ようと思うのでした。

              そんな訳で沢山撮り貯めた後は、ビートルズの四人が瞑想を学んだマハリシのアシュラムに行きます。
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              インド研修〜6日目〜猿

              2014.05.02 Friday 14:58
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                前日の夜。洗濯物を干そうと(インドでは着替え数枚を洗濯しながら着回しします。日中干しておけば、すぐに乾いてします)
                マヒロ先生がベランダへ出ると人影があった。慌ててベランダの扉を閉める。此処は4階・・・そ〜っともう一度扉を開けると、人影ではなく、それは猿影でした。ベランダに座って涼んでいたのでしょうか。
                マヒロ先生が追っ払おうと奇声を発すると、同じく奇声を発して逃げていきます。逃げると言っても隣のリリー先生の部屋のベランダへ。。。ベランダ越しに覗くとやはりリリー先生の部屋のベランダにちょこんと座っていました。余程リリー先生に伝えようか迷ったのですが、夜も遅いし良いかという結論に。ついでに下の部屋のベランダを覗くとやはり別の猿達がベランダに座っていました。ホテルに初めて来た時に不在時ベランダの扉を閉めておかないと猿が入ってくるから気をつけてと言われたのを思い出しました。外に洗濯物を干すのはやめて戸締まりを再度確認して就寝する事になりました。


                翌朝目を覚まし、いつものようにモーニング・コーヒーを楽しもうとベランダへ。一応前日の夜の件があったので、恐る恐るベランダへ。。。とりあえず大丈夫そう。リリー先生のベランダにも猿は居なさそうです。下を覗くと猿は居ませんでした。
                が、しかし

                見事な猿のウンコが置いてありました。

                昨日のうちに追っ払っといて良かったと胸を撫で下ろしました。

                リリー先生がドアをノックします。どうやら前日ヨガクラスを受けた人は翌日からアイアンガーの朝練(アシュタンガで言えばマイソールのようなクラス)を受講出来るらしく、そこに行くけど、どうするかとの事。ボク達はナーダ・ヨガの練習があるので、そっちを優先。北川さんも朝練に行くようでした。
                とそう言えば。。。と切り出し北川さんが『昨日何かおじさんが咳きしているのが聞こえたから窓越しに覗いたんだけど誰も居なくってさぁ、怖かったんだよね・・・』と、するとリリー先生が続いて、『そしたら朝起きてみたらウンコがあるじゃないっ!!何なのっ!!』と。。。。

                そ、それは。。。。ウチが追っ払った猿です。。。。

                とりあえず、ルームサービスに掃除してもらえばという事で、二人はヨガへ出かけていった。

                そしてDohlakの練習が始まります。
                前日より音が出るようになり、安定してきました。
                ナレーシュ先生もこれには結構驚いていました。
                そこでパドミニ先生に訳してもらって、ボクが以前思った「この2パターンをクリアしなければ、何も先に進まない事がよく分かったから、出来るだけ自分で出来る事はやって、先生達が来ている時は意味のある時間にしたい」と言う事を伝えました。
                すると納得してくれたみたいで、もちろん基本のパターンは毎回練習しますが、その日から一つづつパターンを増やしてくれるようになりました。
                そして応用としてマヒロ先生の練習に合わせて、リズムを刻む練習もやるようになってきました。
                またはじめ片方のパターンでやっていて、どんどんテンポが早くなっていき、最終的にもう片方のパターンに切り替わるという事も教えてもらい、この基本の2パターンを何故やって来たのかの意味も分かるようになってきました。

                俄然Dohlakが楽しくなってきました。
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                インド研修〜5日目〜

                2014.05.01 Thursday 16:38
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                  前日の夜から降り出した雨は朝には更に激しくなっていました。
                  朝6時起床がインドでのサイクルとなっていて、
                  朝起きて日本から持って来たドリップコーヒーをベランダで飲むというのが、日課というかそんな感じのゆっくり過ごす時間となっています。リシュケシの朝晩は涼しいので晴れた朝でも心地よい風が吹き、ベランダで飲むモーニング・コーヒーは格別ですが、流石にこの日は暴風雨となっていて、ベランダで飲むのは諦めました。

                  先生が来るまでタップリ時間があったので、早速Dohlakの練習を始めます。
                  ポイントは音を鳴らす事。音量もそうだけれども音の抜け等も意識しながら重点的に行っていきます。
                  低音を出す面では打音した後に素早く打音した指を離す。これは叩いた後に指で押してしまうと音をミュートしてしまい音が出なくなるので、叩いた反動で弾かれるように指を離す。ここら辺はベースのスラップ奏法とも通じる。ただこの叩いた後に手首で面を滑らせ音をうねらせる(タブラでも良く出てくる奏法)のが、やるのと見るのでは大違いで結構難しい。また同じやり方で『Dhin 』と『Dhi』があって表現が微妙に違う。表現の前に音が出ない事がほとんどで何度も練習してコツを掴もうと必死になってやってみたが、そう簡単に出来る訳がない。
                  更に高音部の面では基本2つの叩き方しかないのだが、その内の1つが面の縁部分を人差し指の第2間接の骨で叩いて金属音的な甲高い音を出す奏法が、とっても痛いのだ。慣れればそんなに力は要らない事も分かるのだが、まだまだ意識しないと力が入り、力任せにやっていると、音も出ない上に指がとっても痛くなるのだ。そうするとすかさずナレーシュ先生の『Na! Clear! Na Ti Na ti』と檄が飛びます。

                  外の雨は相変わらず激しく降っていて、いつもバイクで来る先生達は大丈夫かなと心配していると、程なく先生達は現れた。
                  案の定ムケーシュ先生はビチャビチャでしたが、ナレーシュ先生はカッパを用意して来たらしく平気でした。
                  そのままでは風邪引くと思い、ボクのTシャツに着替えるように言うが、大丈夫と中々着替えない。
                  半ば無理矢理に着替えさせて思った。
                  ムケーシュはオシャレさんなので、正装であるクルタを脱いでこのTシャツを着るのは、自分の美的感覚が許さないのかも。。。。
                  と勝手に思ったが、真相はよく分かりません。

                  朝の練習が功を奏したのか、たまにいい音が出るようになりました。いい音が出るとすかさず『very good! Nice Na!』とナレーシュ先生が親指を立てます。いい音が出るたびにvery good!と言ってくれるので、こちらもいい音が出た瞬間ナレーシュ先生を見ます。すると大きくうなずきながら『very good』と言ってくれます。こうなってくると、こちらも気分が良くなって楽しくなってきます。
                  改めてボクは褒めて伸びるタイプなんだなと再確認。某スタジオの代表にも知ってもらいたい所ですが、どうなんでしょう。。。

                  実際何となくコツみたいなのが分かって来たので、もう少し詰めれば何とかなりそうだという気がして来た所で本日の授業は終了。この頃には雨も上がり、晴れ間も見え始めました。

                  雨の後という事もあり、道のウンコも流されていて、ハエも少ないようです。
                  途中ビンディー売りのビンディー講座。
                  意外とセンスがあって、その人の服の色なんかを加味して色々装飾してくれます。


                  このビンディー売りのおじさんとは値段交渉で何度が攻防を繰り返し、後々仲良くなりました。

                  そのまま対岸に渡り、色々お店を物色しながら先日行ったアイアンガーのスタジオに行きました。
                  時間は14:30頃、中に入ると、前と同じ態度の悪いスタッフが居て、受付はまだ始まっていない。受付開始までここで待つのも駄目との事。この時リリー先生はいつものマシンガン・トークで結構食い下がっていましたが、話は平行線。受付は17:30から始まる。17:00に来ても駄目と最後まで釘を刺される感じで、結局スタジオを出て買い物の続きです。
                  相変わらず女子の買い物は凄いので、一緒につき合うのはキツいので北川さんと一緒にカフェに退避。wi-fiも使えるのでチャイでも飲みながら二人を待つ事になりました。

                  ちなみにリシュケシではレストラン等に入ればFree Wi-Fiを利用出来ます。お店のスタッフに聞けばパスワードも教えてくれるので、データ通信が出来ない海外ではメールの確認等するのにとても助かります。ただその先のネットワークの部分で少し不安定な所もあり、Wi-Fiのアンテナはフルで表示されているけれど、ネットに繋がっていない事もしばしば。。。

                  この時間を利用して、池袋のスタジオにSkype使って久々に連絡してみました。インドとの時差は3時間半でタイミング的に中々連絡出来ていなかったので、このチャンスを有効活用させていただいた。連絡も取れ、チャイを飲んでいると買い物袋を持った二人が現れた。他の店も見ながらアイアンガーのスタジオに向かいます。


                  到着時間17:00。。。入ると既にたくさんの人が受付を待っている。リリー先生も少々切れ気味。。。名簿に名前を入れてもらう、受付はその名簿順に入れます。が、当然のごとく4人の名前は名簿の最後に。。。
                  時間が来るまで、待っていると、シヴァナンダ・アシュラムを教えてくれたおじさんが居たので、この性格の悪いスタッフより当てになるかと思い聞いてみると、この人数じゃ君たちは受講出来ないんじゃ無いかな。。。諦めて帰った方が良いよとの事。
                  リリー先生はこれを聞いても、絶対に受講するつもりで待つとの事でした。
                  多分リリー先生の頭の中には、受付がいっぱいになってしまっても、例のマシンガン・トークで無理矢理にでも入り込もうと考えていたのかも知れません。

                  そうしていると時間になり、受付が開始しました。
                  次々と名前が呼ばれ、次々にスタジオに入っていきます。そんな中担当の講師が現れました。中年の白人のおばさんです。
                  その担当講師は受付で待っている人を見ながら、ある白人男性を指差し『貴方は受講出来ない』と言い出しました。
                  『そのパンツはヨガをする格好では無いっ』とお怒りのようです。
                  見るとその方は7分丈のチノパンを履いていました。
                  『そりゃぁ、チノパンは駄目だよ(笑)』とボクは心の中で思っていました。
                  次々と同じようなパンツを履いている人が駄目だしされて、帰っていきます。
                  そうすると諦めかけていた僕たちにも受付の順番が回って来ました。
                  北川さんの短パンもビミョーだなと思っていると、すんなりパス。
                  ボクはタイパンツだったので、安心していると、
                  『貴方は駄目っ!』
                  一同唖然。
                  『はぁ?タイパンツだよ?』とパンツを広げて見せたが、その答えは覆りません。
                  まぁリシュケシに来てわざわざ受けたいクラスでも無かったので、構わなかったのですが、この訳の分からない理由に納得出来ませんでした。
                  確かにアイアンガー・ヨガはとても厳しいと言われています。
                  が、アライメントなど細かく言われるので、とても勉強にもなります。
                  ただこのおばさんは厳しいというより、頭が固いだけでした。
                  という事で、適当に時間つぶそうと思っていると、北川さんもつき合って受講をやめるとの事(何故に?)で一緒にお店を見て回る事になりました。

                  このアイアンガーの側にもニケタンがありヨガクラスがあるらしいので、受講出来るか行ってみたが、アシュラムの宿泊者しか受講出来ない事で断念。写真はニケタンのアシュラムから(ちょっとした高台にあるので眺めは素晴らしい)ニケタンは対岸のホテルの周りもアシュラムだったので、リシュケシでは一番大きい敷地を持っているのではないでしょうか。



                  アイアンガーのスタジオからラムジュラの橋までの商店街には大小の仏像屋さんが何軒もあります。
                  時間もあるのでそれぞれのお店に入り、商品を物色して分かったのが、
                  どの店も取り扱い商品がほとんど同じで値段は一緒ですが、商品の出来に微妙な差がある事に気がつきました。
                  これは良い仏像を買おうと思ったら、すべての店を見てから選んだ方が良いなという事。
                  その発見が出来たのでラッキーという事で(←買わんのかいっ)
                  それから歩いてラクシュマンジュラに行きたいとの話になり出発。
                  この頃、北川さんはアイホンでパノラマ写真を撮るのにハマっていて、ガンガのほとりでよくアイホン構えて一回転しているのを見かけました。リリー先生と一緒にいるときは、何かと宣材写真を撮らされていたので、邪魔されずにゆっくりとリシュケシの風景を撮りたかったのかもしれません。



                  帰りはさすがに疲れたのでリクシャーに乗って帰る事に、リクシャーが集まっている所に行くと、こちらから声をかけなくても勝手に寄ってきます。
                  シヴァナンダまで行きたいというと、オッケーと乗せようとするので、いくらか聞くと
                  『二人で100ルピー!』
                  のぼりで一人5ルピーで来れるのが、なんでその値段になるんだよと、交渉決裂。
                  リクシャーは腐るほどいるので、別のリクシャーに交渉します。
                  時間帯のせいもあるのか中々手頃な値段のリクシャーが見つからなかったが、やっと一人10ルピーで乗せるリクシャーを発見乗ってはみたが、中々出発しない。安い分乗り合いで出来るだけ人を乗せていきたいとの事だ。
                  諦めてやっとの事で出発するのかと思ったら、くるりと回って他のリクシャーの後ろに付けて先に乗客を奪おうという考えだ。。。が、そう言う時こそ裏目に出る物で、Uターンした瞬間同じ所に並んでいた別のリクシャーがお客を乗せ出発していきます。結構待たされて、何人か乗って来た所で諦めて出発。無事にアイアンガーのスタジオに到着。

                  ちょうど終わって間もない時間で人がゾロゾロと出てきます。
                  リリー先生は厳しい先生が好きらしく、このアイアンガーの先生を気に入って、その後もインド滞在中は受講しにいっていたようでした。リリー先生がその先生と一緒に写真を撮っていると、ボクを見つけ改めて受講したかったらそのパンツは駄目ねと言ってきたので、心の中でぜってぇ受けねぇ!と思ったのでした。
                  その時マヒロ先生は先日シヴァナンダ・アシュラムの場所を聞いたオジィちゃんと写真を撮ったらしいのですが、必要以上にくっついてくると文句を言っていました。
                  あの時はとてもニコニコした感じのいいオジィちゃんだったのですが、蓋を開ければ
                  単なるエロ親父だった事が分かりました。

                  インドに来てから4日目、マヒロ先生は既にカレーに飽きて来て、カレーではない食事をとっていました。お腹の調子も良くないみたいです。
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                  インド研修〜4日目〜アーユルヴェーダ

                  2014.04.30 Wednesday 13:41
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                    シヴァナンダ・アシュラムからの帰り、リリー先生と北川さんはこのリシュケシでお気に入りとなったフレッシュ・ジュースのお店に寄って帰るとの事で、ボクとマヒロ先生は先にホテルに戻ります。

                    ちなみに何故リリー先生がここのフレッシュ・ジュース屋さんがお気に入りかと言いますと、旅行のせいなのか、どうやら便秘気味だったらしく、この店のデトックス・ジュース(青汁風)を一日に何杯も飲むくらい、お世話になっていて、いわゆるインドの水はお腹を壊す危険があるので、すべて果汁のみのジュースは安心して飲めると重宝していたみたいです。
                    日本の価格設定で言えば高くはないですが、インドの物価で考えると少々高め、道ばたで売られている野菜を食べた方が安上がりでは無いかと言ったのですが、ハエの集っているのをみると食べる気にならないし、インドの水で作った野菜だからお腹を壊すかも等と、突っ込みどころ満載でしたが、

                    『フレッシュ・ジュース屋のジュースも多分屋台の野菜だと思うよ』

                    とは流石に言い出せず、インド滞在中は毎日のように飲んでいるようでした。


                    そんな訳でホテルに戻り、楽器の準備して軽く練習していると時間通りに先生達は現れます。
                    今日はまた違うリズムパターンを教えてもらう事になりました。
                    そして今回の8日間のレッスンではこの2パターンだけをやる。ベーシックが大事だからしっかり練習するようにとの事でした。

                    長く音楽をやって来た事もあり、ベーシックがどれだけ大事で、逆にベーシックをしっかりやらないと後々大変だと言う事は重々承知していたので、そこに疑問はありませんでした。
                    けれども、しょっちゅうインドに来られる訳でもなく、この8日間をそれだけで終わらせるのはもったいないという思いもあり、逆にこの2パターンをこなせれば、先に進めるとも考えたのでした。

                    先生達は毎日正装であるクルタを来てきます。それが普段着なのだろうと思っていたら、日本に帰る日にホテルに置いてあった楽器を取りに来たナレーシュ先生は上下ジャージで現れたので、きっと授業は気合いを入れて正装して来てくれたのではないかと思います。

                    新しいパターンは前日に教えてもらった音表記と新しい音がありましたが、新しい音表記は前日教えてもらった同じ奏法に使ってないもう片方の面も同時に打音するものなので、難しい奏法ではないですが、今まで片手づつ動かしていたことが両手になると頭の中はパニックとなって、分かっているけれど出来ない、頭の中で理解しているが手が思うように動いてくれない。。。これは年齢による老化現象なのかもしれない。。。10代の頃ならソッコーで出来たであろう事が出来ないもどかしさ・・・

                    この日の授業も終わり、リリー先生達とアーユルヴェーダを受けようとの話になり、近くのアーユルヴェーダのお店に予約をしにいきました。
                    日本でのアーユルヴェーダ・マッサージは男性が受ける事は出来ないですが、インドでは男性も受ける事が出来ます。色んな所へ歩き回ったので足がかなり疲れていたので、この機会に是非受けたいなと思っていました。

                    予約の時間になりお店に行きます。部屋が3つしかないのでボクが後回しとなりました。先に入った北川さんと入れ替わりだったので、どうだったか聞いてみるとパンツを半ケツにされた。。。と言われたので、不安の中部屋に入ると屈強な男性インド人が待ったいた。。。。どうやらこの人に施術されるらしい。。。

                    アビアンガと言われるアーユルヴェーダでは基本の全身マッサージを受ける事に、はじめは仰向けなのかうつ伏せなのか、頭はベットのどっち側だとかのやり取りを、片言の英語で話しながら進んでいく。

                    もともとそういうものなのか、マッサージ中は無言で施術します。特に指圧する訳ではないので痛いというのはありませんが、手のひらがガサガサで体中ヤスリにかけられているようでした。
                    そしてうつ伏せとなり背中をやっていると軽く半ケツにしてマッサージの時に使っているごま油が付かないようにしているようでした。が次の瞬間半ケツどころか全ケツ出すようにパンツをずりおろされケツのマッサージに入ります。半ケツって聞いたのに・・・とかなり辱めを受けた気分でした。
                    そんなこんなで施術も終わり、めちゃくちゃ気持ち良い訳ではないけれども、まぁそれなりだったと思っていると、女子2人が文句を言いながら出てきます。
                    二人はアビアンガとシローダーラ(眉間に油を注ぎ続けるやつ)をやってもらったのですが、
                    油が臭いやら、シローダーラ中の首が痛い、だとか髪の毛の油を取る際髪の毛を雑巾のように絞られたとか、施術中寒いだとか、文句の雨あられ、、、絶対にもう行かないっ!と断言して終わる事となりました。
                    髪の毛が油まみれとなり、ボタボタと服に垂れてきます。そういう状況になるだろうと分かっていたので、捨てても良い服だったのですが、洗濯してもシミが抜けない程でごま油の臭いも抜けませんでした。


                    朝晩は涼しいリシュケシも日中はとても暑い、日本の夏のようなモワッとした感じはないので、気持ち良いですが、やはり日焼け対策は大事みたいです。
                    晴天が続いていたリシュケシも今夜は空模様が怪しくなって来ました。
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                    インド研修〜4日目〜シヴァナンダ・アシュラム〜

                    2014.04.29 Tuesday 11:02
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                      前日パドミニ先生からシヴァナンダのプージャが素晴らしいらしくみんなで行こうとの提案で、
                      朝6時にリリー先生達と一緒にホテルを出て6:15にパドミニ先生とラムジュラを渡った所で待ち合わせの予定。

                      が、

                      なんだかんだと疲れているもので・・・起きたのが6時ちょっと前。
                      リリー先生にドアをノックされ(各部屋には呼び鈴が付いてますが壊れて音が出ない)慌てて用意するも待たせてしまうので先に行ってもらう事にした。

                      プージャの始まる時間が6:30で結局ホテルを出れたのが6:15。
                      急いでうんことハエの道を通り抜け。ラムジュラの橋を渡ります。
                      当然皆は既に居ません。

                      の前にシヴァナンダ・アシュラムが何処にあるのかをちゃんと分かっていなかったので、リクシャーが集まっている所にシヴァナンダのメモリアルアーチがあった記憶を頼りにそちらの方へ


                      するとシヴァナンダ・ヨガ・センターの文字!!
                      ここかっ!!と入ってみても人の気配がしない。お坊さんが一人川に向かって瞑想しているだけ・・・

                      すると、その坊さんが気がついて声をかけてくれる。

                      朝のプージャに出たいという事を伝えるが、お互い片言の英語でのコミュニケーションなのでイマイチ話が噛み合ない。
                      壁に貼ってあるスケジュールの紙を差して朝のプージャは8時からだよ的な事を言っているので、『出直すよ』ととりあえずそこを出る事に。
                      とりあえずアーチの所まで行ったら分かるだろうと、行ってみてもやっぱり分からない。
                      Googleマップを開いて探していると、アイアンガーセンター(リクシャーの停留所、アーチの側にアイアンガー・センターがあります)の昨日とは別のスタッフのオジィちゃんがこっちを見てニコニコ笑っているのに気がついたマヒロ先生は、シヴァナンダのプージャに行きたいと聞くとシヴァナンダはあっちにアシュラムとこっちにセンターと二つあるよと色々説明してくれた。
                      この時はこのインド人がとても親切で素晴らしい方だと思ったが、後々その見解は見事に打ち砕かれるけれども、詳しくはまたの機会に。。。

                      山道を少し登った所にシヴァナンダのアシュラムはあります。
                      此処で良いのか少々不安を持ちながら、敷地内の奥へ進んで行く。

                      途中お坊さんにプージャは何処でやっているか聞くと丁寧に教えてくれた。

                      会場へ向かう手前でシヴァナンダでお馴染みの『トランバカン ヤジャーマヘー・・・』と聞こえて来て、改めて此処がシヴァナンダのアシュラムであると確信する事が出来た。

                      会場の中に入ると祭壇に向かって男性と女性に分かれて並んでいて、それぞれ並びなさいと促された。
                      タイミング的にはちょうど良かったらしく、これからプージャが始まる所でした。
                      見るとパドミニ先生、リリー先生も居て、一安心です。
                      プージャではローテクなのかハイテクなのか、ドラムが電動式で、ドラムを自動でバチが叩く仕組みになっていて、スイッチを入れれば勝手に叩いてくれるようになっていました。
                      その太鼓と鐘の音の中、厳かにプージャは行われました。

                      プージャも終わり会場をゆっくり見て回りました。

                      プージャの祭壇です。


                      祭壇の横に赤い灰があり、額につけます。


                      祭壇の入り口上にネオン(?)


                      前述の『トランバカン ヤジャーマヘー・・・』とマントラを唱えていたのはこの場所です。
                      皆も参加します。マントラの終わりの『アムリターッ』で柄杓ですくった油を中央の火に皆で注ぎます。
                      このマントラを繰り返し、マントラの終わりで油を注ぐのを何度も行います。


                      赤い灰や米を額につける。手首には赤いヒモを巻く。どんな意味があるのかは自分で調べてみてください。
                      ただ額にこの印が付いている人はプージャをやって来た人だというのが第三者にも分かります。
                      神様からの贈り物であるプラサード(バナナやお菓子などの食べ物)を頂きます。


                      それから別の建物へ
                      奥の祭壇はシヴァナンダ先生がマハーサマディ(ヨギの逝去)された場所だそうです。


                      マヒロ先生が奥の部屋を覗いていると『入ってい良いのよ』と促され女性信者の方に続いて入っていくと、その女性信者は奥の壁にかけられているシヴァナンダの肖像画に額を付け、深々とお祈りをしていたそうです。
                      それを見て信仰の深さを感じ、スワミ・シヴァナンダの慈悲深さなどを知っていたマヒロ先生は色んな事を思い、自然と涙が溢れたそうです。

                      スワミ・シヴァナンダについて簡単に書いておきましょう。

                      スワミ・シヴァナンダ(1987-1963)


                      スワミ・シヴァナンダは、1987年9月8日に南インド・タミルナドゥ州でヒンドゥーの由緒正しいバラモンの家系に生まれ、クップスワミと名づけられました。クップスワミは幼少時より、両親の行う礼拝やヒンドゥー賛美歌に興味を示し、また遊行中の聖者や貧しい人々や動物たちに食物や自分の持っているものを施すことに喜びを感じていました。ある日、年老いた足腰が弱い老婆が転んだとき、同年代の子供たちは馬鹿にして笑っていましたが、クップスワミ自身は「私たちはいつか必ず年をとる」こと、「笑ってはいけない。困った人がいたら助けなくてはいけない。」とほかの子供たちに厳しき口調で注意しました。人々に奉仕することに喜びを感じていたクップスワミは、やがて人々を助けるために医学の道を志します。学生時代のクップスワミはいつも、学力がトップで優秀な成績をおさめ模範とる学生でした。同時にスポーツや武術にも興味を示し、専門の教師に剣術を教わります。下等のカーストであるクシャトリヤ(武士階級)の教師から教わったために、同じバラモン階級の人から非難を浴びます。クップスワミはカーストという身分制度で、人々を差別することに、違和感を感じました。

                      医者になった後には、カーストによる差別や偏見を一切持たず、貧しい人々や弱い人々に分け隔てなく奉仕しました。医療費を払えない患者には、逆にクップスワミ自身がお金や食べ物を患者に与えたそうです。予防医学にも力を入れ、学生時代には既に医学雑誌を刊行したり、26歳の時には医療を必要としているマレーシアのゴム農園の人々のために、採算を度外視した医療活動を行います。マレーシアでも、貧しい人々や苦しんでいる人々のために、たとえ夜中であっても進んで診療して助けました。また体調のよくないサドゥー(修行僧)が診療に来た際も、汽車の切符を渡したりと、多くの施しを行いました。

                      マレーシアで苦しみや悲しみに暮れる人々に奉仕していく中で、クップスワミはある日、「この世は病気や災難や心配や苦難や悲しみや不幸に溢れていて、この世の幸福なんて儚い。永遠の平和と幸福とは何だろう。」と真剣に考え始めました。そして、自己探求していく中で、意識の純粋さと神性さを獲得し、『平安』と『至福』へ到達することこそが、自己実現であると気づきます。

                      そして、インドに帰国し、36歳にしてベナレスに出家のため旅立ちます。今までは人々に物を与えていましたが、今度はクップスワミ自身が人々から施しを求めました。時には食べ物がまったく得られないときもあり、また粗末な服だったため冷たい雨でずぶ濡れになったりしましたが、忍耐力を鍛えるために神様から与えられた機会だと感じ歩き続けていました。

                      1924年、37歳のとき、クップスワミはリシケシュにたどり着きます。ここで、スワミ・ヴィシュワーナンダと出会い、師事します。それからクップスワミは、スワミ・ヴィシュワーナンダからサンニャーシンとしてイニシエーションを受け、グルから聖なる僧衣を授かります。ここから、スワミ・シヴァナンダというスピリチュアルネームを頂きます。それから何年もガンジス河のほとりでプラーナヤーマやアーサナや瞑想、夜明け前の沐浴など苦行を続けました。

                      もちろん、医療の知識と経験を持つシヴァナンダは、医療慈善を行う施薬所で、医療奉仕も続けていました。食べるものは、配給所からもらった堅くなったチャパティとガンジスの水。部屋には2着のドーティと水入れ容器と毛布しかありませんでした。その毛布でさえ、貧しい巡礼者にあげてしったことがありました。神様が新しい毛布をくださるまで、綿のドーティをまとって震えて眠っていたそうです。

                      43歳のときには、神聖な神秘体験(サマーディ)をします。後にシヴァナンダがおっしゃた言葉です。『スワルガ・アーシュラムで厳しい修行を続けてから、私は多くの聖者や賢人と会い、神がシュリ・クリシュナという姿で眼の前に現れ祝福してくださいました。』神秘体験以降のシヴァナンダに変化が起こり、これまでずっと拒否していた弟子をとり指導することに着手します。

                      1932年の45歳時にはシヴァナンダは、最初の布教活動のため、インド各地に旅をします。信奉者や弟子も増え、1936年には現在のアーシュラムでもあるディヴァイン・ライフ・ソサイエティ(DLS)が設立されました。アーシュラムの建設や運営はすべて、世界中の信者からの献金でまかなわれています。スワミ・シヴァナンダは持っているものを惜しみなく、貧しい人々や弟子たちや信者に与えていました。アーシュラムはちょくちょく財政難に見舞われ、多くの人々が出ていかなくてはならない深刻な状況にも陥りました。そんな差し迫った苦難のときでも、スワミ・シヴァナンダは、「人々を追い出してはいけません。神様が贈ってくださったのですから。必要なものはすべて神様が与えてくれます。心配はいりません。」とおっしゃいました。スワミのお言葉通り、翌日にアムリトサルに住むパンナラジーという信奉者が多額の献金をしてくださいました。これには、事務方や多く弟子たちが驚いたそうです。

                      1949年には、かつてDLSの総長だったスワミ・チダーナンダや、アメリカに渡り教育や福祉に多大な貢献をしたスワミ・サッチダーナンダにイニシエーションを授けます。スワミ・シヴァナンダは、1963年肉体を離れるまでに、300冊もの霊的な本を書き上げました。これまで神秘的な領域で口頭以外に絶対に明かしてはならないとされていた、解脱についても誰にでも理解できるように解説しました。

                      1950年64歳の時には、13人の弟子たちとともに、全インド・ツアーとして奉仕の旅をしました。インド全国からスリランカまで、8千マイルもの大横断は、役人や一般市民や学生や求道者たちの心を鼓舞し、熱烈な歓迎を受けたそうです。

                      1953年にはシヴァナンダは、アーシュラムで第1回世界宗教会議が開き、「真理はひとつ、原理はまったく同じです。それぞれの人々は異なった名前で呼んでいます。それなのに、人々は不必要な争いをし、大切なことを見失っています。」と演説しました。

                      スワミ・シヴァーナンダは、弟子たちに小手先のプラーナヤーマやアーサナや瞑想、ハタヨガのテクニックは決して教えませんでした。クンダニーニを覚醒させる技を求めている探求者には、「病気の人や貧しい人や年老いた人に奉仕しなさい。それにより、純粋になり魂は目覚めます。」と教えました。同時にスワミは、来訪者や弟子や求道者の資質と能力を見極め、瞑想の必要な人・ヴェーダーンタの必要な人など、その人たちの個の魂を伸ばすそういった指導を行いました。スワミ・シヴァーナンダは死ぬまで、休むことなく、人々を導き、愛し、奉仕し、楽しませました。

                      1963年の初め、スワミはご自身が肉体から離れる日が迫っていることを意識します。マハーサマーディについての度々の言及、出家希望者に前もってイニシエーションの日時を伝えたこと、シヴァの礼拝時に何か起きること、今の内にききたいことをたずねるように指示したこと、欲しいものがあったら今の内に言っておくようにとおっしゃったことなど。スワミの言葉の奥にある意味は、多くの弟子や求道者たちは気づいていました。

                      6月24日には、左半身が麻痺し意識が遠のき、本を書くことができなくなりました。そのため、弟子にスワミ・シヴァナンダの言葉を書きとらせました。

                      スワミの最後の言葉は、『本当の幸せは、個の意識が神様に融合したときに来ます』でした。7月14日、高熱で横たわるスワミ・シヴァーナンダは、ガンジス河の水を口に含み、肉体を離れ、本来そうであったパラマートマ(神)に還元しました。スワミ・シヴァナンダの教えは、次のお言葉に集約されます。『奉仕しなさい、愛しなさい、与えなさい、清らかになりなさい、瞑想しなさい、悟りなさい』今もスワミ・シヴァナンダの教えは、世界中の人々に実践され、霊的向上のためのインスピレーションを与え続けています。

                      *参考文献:『シヴァーナンダ・ヨーガ』成瀬貴良・編訳(善本社)
                      まだまだ朝です。これからナーダ・ヨガの練習があるので、急いでホテルに戻ります。
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                      インド研修〜3日目〜マーケットへ

                      2014.04.28 Monday 14:57
                      0
                        午後はリシュケシで最も賑わっているマーケットに行く事に

                        ホテルを出ると野良犬?基本首輪をつけている犬は居ないので、飼い犬なのか野良なのかはよく分からない。
                        毎日居るので飼い犬かも。。。


                        毎度の事のようにウンコとハエとバイクのクラクションと物乞いの間を通り抜けラムジュラの橋の方に向かいます。

                        今日は橋を使わず船を利用する事になりました。

                        マヒロ先生はこの船でガンガを周遊するのかと思ったらしく楽しみにしてたら、向こう岸に渡るだけの船だったのでガッカリしていまいした。
                        これで片道10ルピー。普通ならすぐ側に橋があるなら、無料のそっちを使えば良いじゃないと思うでしょう?
                        でも橋は3人位がギリギリの幅の所を両方向から人が渡るのは当然で、クラクションを鳴らして通るバイクや荷物を積んだリヤカーも使います。それだけでなく野良牛が寝ていたり、もちろんもれなくウンコもあります。
                        なので。この船は結構重宝していました。

                        結構満員です。


                        マーケットまでは歩くにはちょっと距離があるのでまたまたリクシャーを使います。


                        マーケットに到着。人の量も多くなって、ホテルがある地域よりも更に活気に溢れています。店の量も多く品揃えも豊富。ホテルの側はお土産物が多いのに対し、こちらは衣服をはじめ日用雑貨や家電品など生活必需品を取り扱っているようでした。


                        床屋発見!オープンスタイルが主流らしく、他の床屋も路面に大きく間口を開けて営業してました。


                        ムケーシュ先生、ラヴィ先生とも合流して、本日のマーケットの目的はこれ!


                        サリーの購入です。改めて女子3人集まってのショッピングは大変だという事を思い知らされます。

                        ラヴィ先生もあまりに長い買い物にヘトヘトに。。。何時間此処に居たかは不明。。。
                        唯一ムケーシュだけが最後まで女性3人につき合ってサリー選びを手伝っていました。流石です。。。。

                        ボクはそんな3人は放っておいて被写体探しに店の周りをウロチョロしてました。

                        少年発見!!お店のすぐ裏にすんでいる子供です。
                        後々昼食のお店にトイレが無いとの事で、こちらの家のトイレを借りる事になりました。



                        そんなこんなで皆さん買い物も決まったようなので、ムケーシュがドーサを奢りたいとの事でレストランに移動です。


                        途中楽器屋?発見!!ハーモニウムを黙々と修理中。。。


                        そしてドーサのお店に到着。ドーサを作っている所を見させていただきました。 
                        最終的に三角形に畳まれて行きます。


                        ドーサを作るスペースの関係で一気に人数分出てきません。
                        ムケーシュがボクは良いから先にどうぞと言って、促され先に食事をする事に、話をしながら食べていると、ラヴィはドーサに手をつけていないことに気が付いた。ムケーシュのドーサが運ばれてくると一緒に食べ始めました。礼儀としてムケーシュを待っていたみたいです。それを見て待ってた方が良かったのかなと思っていると、『君たちはお客さんだから気にしないで』との答え。。。流石です。

                        ちなみにこのムケーシュとラヴィは従兄弟同士です。年も同じ位で二人とも美形でもあります。その二人が町中を手を繋ぎながら歩いているのを見ると、ソッチ系なのかと思ってしまいますが、インドではごく普通の事らしく、仲の良い友達同士は男同士、女同士で手を繋ぐらしいです。
                        と説明は受けた物の、やはり気になって仕方ありません。
                        二人が手を繋いでいる写真のバックに薔薇の花を散りばめたら、少女漫画風になりそうです。

                        そんなこんなでマーケットをどう抜けたのか、知らないうちにガンガに辿り着きます。

                        バガヴァット・ギーターで有名なやつです。リシュケシでは至る所で見かけます。


                        この場所は3つの流れに分岐する場所で、とてもスピリチュアルな場所なんだとムケーシュが言っていました。


                        そしてスラムです。
                        雨期になれば川になってしまう場所に建っています。
                        立派な家に住む人も居れば、こういうボロ小屋に住む人もたくさん居ます。
                        これは学生の時に習ったカースト制が未だに根強く残っているからです。
                        またそのカースト制はヒンドゥー教の観念とも深く関わっているので、簡単にカーストをなくすのは難しいのです。


                        リシュケシ滞在中に色んなスラムの子とも知り合い、その事を深く考えさせられました。

                        そこを横目に抜けるとシヴァ神を祭るお寺による事に。
                        多分Chandreshwar Mahadev Temple

                        カメラの設定を間違えて、写真が暗くなってしまった。

                        近代聖者の誰かが3日間籠ったという洞穴がありました。写真の人ですが、分かる人居ますか?


                        そこから程なくパドミニ先生が滞在するSwami Dayananda Ashramに到着します。
                        パドミニ先生は今回のインド滞在中は同じホテルではなくこのアシュラムに滞在して居ました。

                        Nirvana hotelとはちょうどガンガを挟んで反対側。対岸にはニケタンのアシュラムが見えます。


                        このアシュラムからラムジュラまで今度は川沿いを歩いて帰って行く事になりました。
                        川沿いは心地よい風が吹くので、そんなに歩くのも苦ではありませんでした。


                        途中リリー先生が自分の宣材写真を取っていると。。。


                        近所の子供が俺も出来るよと言わんばかりに横で開脚。

                        マヒロ先生も参戦して。。。


                        最後は




                        帰りの途中にあるアイアンガーのヨガスタジオにより予約出来るか聞きに行くと、頑固そうな親父が『予約は出来ない、明日来て空きがあれば入れる』みたいな感じであしらわれ、出直す事に。。。
                        ちなみにこの受付の親父だけでなく、担当のアイアンガーの講師も面倒くさい奴だという事を後日思い知らされるのでした。

                        帰りも朝乗った船にて対岸に渡り帰る事に。


                        翌朝はシヴァナンダのアシュラムに朝のプージャを見に行きます。
                        category:- | by:nirvanayogacomments(0)trackbacks(0) | -

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