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2016.01.31 Sunday
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    インド研修〜10日目〜

    2014.05.28 Wednesday 19:11
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      ホテルのチェックアウトは12時ですが、タクシーが来るのは3時。
      ホテルの粋な計らいで、チェクアウトを3時まで伸ばして頂きました。

      ホテル屋上からの眺め、眼下にはニケタンのアシュラムで、一般人は入れません。そしてその奥にはガンガが見えます。


      ナーダヨガの練習も無く、荷物の整理も前日に終わらしてしまったので、特に何もする事はありません。
      という事でリシュケシとのお別れにもう一度、ガンガを見に行きたいと言う事になりました。

      リリー先生と北川さんが要らなくなったものをスラムの子供達にあげたいと、色々持っていくようです。
      僕たちもアーユルヴェーダでごま油臭くなった服等どうせ捨ててしまうものを持っていく事に。

      北川さんはこのリシュケシ滞在で仲良くなった少年に出来ればあげたいと探していました。
      仲良くなった少年は北川さんを見つけると『Hideki Hideki』と呼びながら近寄ってくるとの事でした。
      しかし、その少年はその日に限って見当たらず、スラムの子供自体もほとんど見かけません。
      やっと花売りの女の子達を見つけて、その少年の事を聞きますが、知らないとの事。
      仕方なくその女の子達にいくつかあげていると、もっともっととねだってきます。
      その強欲っぷりに呆れて、あげたくなくなってしまいますが、それでも執拗に追いかけてきます。
      埒があかないので、レストランに退避。
      流石にレストランの中までは入って来れないので、諦めて帰っていきました。
      食事中と言っても、北川さんとリリー先生はお腹の調子が良くないので、ほとんど食べれませんでした。その間、北川さんはやはり諦めきれずに、レストランの窓から川沿いを眺めて、まだ少年を捜してるようでした。
      最終的に捨てようと思っていたものなので、食事後にその女の子達に皆で分けるよう言って、すべて渡してきました。


      ガンガの川沿いを歩いていると、子供達が『フラワー フラワー』と花を売りに来ます。
      プージャで使用する花を売っているのですが、ガンガを眺めていると瞑想する暇もない位取り付かれます。
      この日は本当に子供達が居なくて、とても静かな日でした。



      滞在中に見つけたウンコロードを回避する技。
      ニケタンのアシュラムの中を抜けるという方法、ほとんどのアシュラムには門番が立っていて、入ると怒られるのですが、一部のアシュラムだけどういう訳か解放されています。夜も仏像がライトアップされていて、ちょっとしたデートスポット風でした。

      リシュケシの物乞いのおじさん。手に持った缶を鳴らしながら『Hello Hello』と近寄ってきます。
      この他にも両手、片足が不自由な女性の物乞いなど沢山います。全員にあげていたら切りがありません。


      ビンディー売りのおじさん。初回は値段交渉して買ったビンディーの付け方が難しくて、もう一度やり方を教わる為にもう1個買った時にとても丁寧に教えてくれました。この日の最終日は向こうから呼び止めて来ました。今日帰るから、買わないよと言うと、構わないよとサービスでビンディー付けてくれました。


      そして最後はニルヴァーナ・ホテルのマネージャーのサッチンと。
      このホテルはパドミニ先生が手配してくれました。
      決して狙った訳では無く、他のインドのホテルと比べて、サービスやスタッフの対応が日本人の僕たちにとっても合っていると感じたからだそうで、実際この10日間を快適に過ごす事が出来ました。


      リシュケシで感じた事は、ここに住んでいる人に、本当の意味で悪い人は居ないとという事でした。
      地元の悪ガキなのか、観光客にわざとタバコをふかしてみせたり(リシュケシでは酒、タバコは売っていません)しているのも日本の田舎のヤンキー程度のかわいいもんです。他にも5ルピーで行ける所を一人20ルピーも請求するリクシャーにキレたりしてしまいますが、それはこのインドに居ると金銭感覚がおかしくなっているだけであって、冷静に考えると日本円で10円安いとかで喜んだり、100円もするなら買わないとか言っているのだから笑ってしまいます。

      それからリシュケシ滞在中怒っている人をほとんど見かけませんでした。日本みたいにクラクション鳴らして悪態つく運転手も居ません。
      みんながニコニコしていて、ストレスを感じている様子はありません。

      ムケーシュが言っていましたが、『自分は将来こうなりたいというものがなく、今という時間を生きている』と言っているのと同じように、もしかしたらこのリシュケシの人々も今を生きているのかも知れません
      将来に希望を持たなければ、そこにエゴやネガティブなマインドが出てくる事はありません。

      ヨガをやっているのならリシュケシに来るべきだと言われる意味が、この10日間の滞在で少し分かった気がします。
      とても感覚的な事で説明出来ないので、やはり来て感じるしかないのだと思います。
      特にバクティに関しては、インド人の宗教観や生活などが深く関わっているのを感じました。それを感じられた事はが、今回のインド研修の一番の収穫では無いかと思います。

      そして、この研修を手配してくれたパドミニ先生やムケーシュには本当に感謝しています。また今回ほぼ一緒にリシュケシを歩き回ったリリー先生と北川さんが居てくれたからこそ、楽しい時間を過ごす事が出来、こうしてネタに困らず書く事が出来たのです。また一緒にこうやってリシュケシに来られたら良いねと言うとリリー先生は、今回のインド滞在中のウンコの悪臭やハエ、そして体調を崩した事もあり、ニューヨークの方が良いと言っていましたが、なんだかんだと次に来るときはコレを持って来た方が良いとかインドは3年に一度くらいで良いわ等と言ってたので、また来る気はあるんだなというのは良く分かりました。

      ホテルに戻ると既にタクシーが待っていました。ホテルの清算を済ませ、タクシーに乗り込みます。それではリシュケシとしばしのお別れです。
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      インド研修〜10日目〜

      2014.05.24 Saturday 12:09
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        今日はナーダヨガの授業の最終日です。
        ラヴィ先生の奥さんも来てくれました。


        でラヴィ先生がレオンとシャンティの写真が見たいと言い出して授業そっちのけでPCを囲んでおります。


        暫く猫の写真を見てまったりしていると思い出したかのようにムケーシュ総監督が
        『写真はこの辺にして、授業始めようっ!』と仕切り直します。

        なんだかんだとムケーシュも楽しんでおりましたが。。。

        この日の授業ではインド滞在中の練習の集大成的な事をやった後、普段僕たちがやっているキルタンを聞きたいという事で、
        いつもニルヴァーナのキルタンで行っているオリジナル・キルタンを披露しました。

        ここにはベースが無いので、マヒロ先生一人での演奏でしたが、
        するとナレーシュ先生はDohlakを持ち出して、一緒に演奏しながら、こういう曲にはコレが合うよと耳打ちしながら今までやって来たパターンや新しいパターンを教えてくれたりしてくれました。
        ラヴィ先生もバイオリンで、ムケーシュ先生も横笛を持ち出して演奏に加わっていきます。

        演奏が終わった後、曲やマヒロ先生の声をとても褒めてくれました。

        たまに、こういうキルタンはインドの伝統に則ったもので無いとキルタンではないと言う、
        頭の固い日本人の方が居られますが、こうしてインドでキルタンをやっているインド人が
        何も文句を言っていないのだから、全く問題ない事を改めて確信しました。
        今度そんな事を言う、お偉い肩書きの方が居たら説教してやろうと思います(笑)

        北川さんも復活して、みんなでパチリ。


        この8日間ナーダヨガ教えてくれた先生達と一緒にVer1

        Ver2 日本で写真を撮られる時はこれが主流だと適当な事言って。。。
        ラヴィ先生。。。少し照れてます。

        Ver3 インドで写真を撮るときはこんなパターンが主流らしい(後ろで奥さん笑っちゃってますが・・・・)

        Ver4 インドでの主流はこんなのもあります。ナレーシュ先生絶好調!


        最後は女性陣が集まって

        3人揃って何かを撮るインド人。。。

        撮影されている女性陣を撮っていました。


        そんなこんなでナーダヨガのクラスも終わり、今回の旅の目的を達成する事が出来ました。
        もちろんコレで終わりではないけれども、ナーダヨガの授業は久々の充実感を味合う事が出来ました。



        前日北川さんが倒れた時に、用意していたポカリをあげたのだけれども、結構これが良かったみたい。
        するとリリー先生も自分も欲しいと。。。。
        どうやらお腹の調子が良くないみたいですよ。

        ずっと便秘気味だったのに、これで出て良かったじゃんとか思っていたら、そう言う訳でもなさそうです。

        とうとう4人中3人もインドの洗礼を受ける事となりました。

        ボクは未だに快調です。意外とインドはボクに合っているのかも知れません。
         
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        インド研修〜9日目〜

        2014.05.22 Thursday 14:37
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          お陰さまでこの日My Dohlakが届きました。ナレーシュ先生の調整が入ります。

          生楽器というものは、弾いてあげればあげるだけ良い音になっていきます。
          それはベースを散々やって来て分かっている事でしたが、ムケーシュ先生達も
          『今でもこの楽器は良い音だけど、弾いていくともっと良い音になるよ』と同じ事言うので
          こういう事は万国共通なんだなとひしひしと感じました。

          そんな訳で本日はジヴァムクティ・シスターズがサリーを着てお出かけです。
          ナーダヨガの練習が終わった後、部屋でサリーに着替えてから出発の予定で、その着替えの間に男子二人でパドミニ先生指定のお店でアップル・サモサを買ってくる予定となっておりました。
          が、
          北川さんが来ません!!!
          聞くと猿がベランダに居た辺りから、体調が悪くなっていて、リシュケシ中を行ったり来たりが祟ったのか、はたまた昨日のお土産購入で肩の荷が下りたのか、とうとうこの大事な日に寝込む事となりました。

          そんな訳で、買い物は北川さんに任せておけば良いやという目論見は見事に外れ、一人アップル・サモサを買いにいく事に。。。
          指定されたお店は近くにあるので、すぐに到着します。
          ただ、商品棚に何も無いので、ここで良いのかちょっと不安になります。カウンター奥にメニューが書いてあり、そこにアップサモサの文字を見つけ、この店で合っていると確信。アップルサモサを頼むと、無いとの事。作ればあるのか、材料が無くて作れないのか全く不明で、英語力的にそこまでの追求が出来ないため、ここは対応を変えて他のサモサを注文しても、やはり無いとの事。お昼で売れて無かった物と判断して、手ぶらでホテルに戻る事に。。。買えないとなると、逆に気になる物でリシュケシ滞在最終日にも行ってみましたが、やっぱり無いと言われてしまったので、季節的に無いのかも知れません。。。

          北川さんが居ないので、撮影はボクが一人で3人分をこなさなくてはいけなくなりました。
          この3人が御粧ししている大事な日だというのに、この3人の面倒を見なくてはいけないのかと、少し憂鬱になるとともにダウンした北川さんを恨んだりなんかして。。。。

          何が大変って一人でも変な顔になってしまうと使用不可になってしまい、そんな写真をアップしようものならどんなクレームが来るか分かりません。
          そして一行は、あるお寺に向かいます。



          さてここで何をするのでしょう?



          ナレーシュ先生颯爽と登場!ちなみに聖職者だろうがなんだろうが、バイクに乗っているときはクラクションを鳴らしまくりだそうです。

          ムケーシュ先生も合流して

          今回のナーダヨガの勉強が今後も僕たちの糧となる事を祈ってのプージャをやっていただく事となりました。
          本来プージャを行えるのはバラモンの階級にある人だけで、ムケーシュとナレーシュはその階級にある人という事です。

          このお寺はシヴァ神を祭っているお寺です。
          シヴァ神といえば、リンガですね。



          プージャの準備

          さてプージャが始まります。リンガの周りにはシヴァの乗り物のナンディン(牛)、息子であるガネーシャと韋駄天のスカンダ、妻であるパールヴァティーが飾られていて、それぞれにシヴァへの接見の許しを得る為に順番に祈っていきます。

          そして最終的にシヴァ神に祈っていきます。



          皆でそれぞれアラティーを行います。


          井戸をくんでみたり。。。


          インドらしい町並みをバックに


          プージャをした後は近くにあるというISCONのお寺に行きます。
          ISCONはお金持ちだよと聞いていた通り、立派なお寺です。
          庭付きで奇麗に整備されていました。


          ムケーシュ先生が説明をしながらまわってくれました。

          本堂の周りにはクリシュナ神にまつわる様々な絵画や造形が飾ってありました。






          そして本堂のメインにあるのがこちら


          全体的に置いてあるものも立派なので、やっぱりお金持ちなのだろう。。。

          本堂の中ではキルタンが行われていて、ナレーシュ先生がボクを呼んで横に座らせると、
          そこで演奏している同じ両面太鼓のムリダンガムで叩いているリズムパターンが、このインド研修で散々練習したリズムパターンだよと伝えようとパターンの名前をボクに耳打ちてくれました。

          さていよいよ明日はナーダヨガ最終日です。
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          インド研修〜8日目〜

          2014.05.17 Saturday 15:56
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            本日は昨日とは逆回り、つまり初日と同じ行き方でラクシュマンジュラを目指します。

            相もかららずのウンコ・ロードとハエ・ロード、
            このロードは第何章まであるのかしら・・・こんなトラブルューはもうこりごり。。。





            す、すいません。

            この頃になると、ウンコの臭いとかハエが舞っているのも、それほど気にならなくなってきます。
            たまに露店のスイカの切り身を見て
            『このスイカは種がいっぱいね〜』なんて近づいてみると
            全部ハエだった。
            なんて事もありますが、、、(ウッ)
            もう猿に驚く事はありません。


            初日には気がつかなかった事や、宛も無く色んな店を物色してまわるのも面白く。
            マヒロ先生もインド人相手の値切り交渉も様になってきました。
            高いと思ったら、わざと商品を棚に戻すと、高確率で値段を落として提示してきます。
            ここで商品を持ったままだと、高くても買うと判断するらしいので値段を落とさないらしいです。

            そんなこんなして初日にパドミニ先生に連れられてきたカフェを見つけて、休憩。

            その日は何かのパーティーで一部使用していて、店内はごった返していましたが、とりあえず椅子だけ用意してもらって、何とか着席。そのうちにテーブルも空いて、やっとランチとなりました。

            ネネと呼ばれるミントを使ったドリンク。



            モモというスープ料理。ネパール料理らしいですが、美味しかったです。
            特にカレー地獄から解放されたかったこの時期には・・・

            隣の欧米人が食べているのが、うまそうだったので注文したアボカド・サラダ。


            カフェのベランダから見えるガンガと共にどうぞ。。。



            途中、日本語勉強中だというのインド人に話しかけられたり、リシュケシでTT中のブラジル人が教科書広げてマントラの勉強中だったので、声をかけてマントラを色々教えたり、自分たちはジヴァムクティ・ヨガの講師みたいな事を言ったら、ジヴァムクティを知らなくて、なんでジヴァムクティ知らないの!?と少し切れ気味の某氏・・・
            カフェでまったりおしゃべりしていると時間はあっという間に過ぎてしまう物で、
            今日は18時にパドミニ先生と待ち合わせてパドミニ先生が滞在中のDayananda Ashramのアラティーを見に行く予定。
            そろそろ出ないと間に合いませんよというのに、カフェ出てからもなんだかんだと買い物が始まります。先に買い物を済ませて店を出ると、北川さんが何かコレだという物を見つけたらしく、別の店で値段交渉中。。。とりあえず先に向かっててという事で先に行きます。暫くすると後ろから3人乗りのバイクが追い越していきます。見れば買い物済ませて、ホクホク顔の北川さんとリリー先生でした。あっという間に追い越してラクシュマンジュラの橋の手前で待っていました。

            そこからは昨日と同じ道をひたすら戻り、乗り合いのリクシャーを見つけて、待ち合わせ場所のリクシャー停留所があるアイアンガーのヨガスタジオの所まで急ぎます。もう既に待ち合わせの時間は過ぎてしまっています。。。

            待たされて怒っているかなと思ったら、流石パドミニ先生です
            『ガンガのほとりでこうして居られて素敵な時間だったわ、おまけに知り合いに会ってお話していたし別に平気よ』との事。。。こんな返しを普通に出来る人間になりたいです。。。。

            パドミニ先生は既に届いたサリーを着て待っていました。



            ここから川沿いを歩いてアシュラムに向かいます。

            途中で御粧しした女の子発見!!

            子供は正直ですね。。。。怖いのかな。。。。

            ムケーシュとも合流してこれからプージャの後アラティーが始まります。

            対岸には先日行ったマハリシのアシュラム跡が見えます。


            そしてガンガのほとりでアラティーです。あっと言う間に真っ暗になっていきます。





            アラティーの後はアシュラムでの初の食事です。学校給食風に自分でトレーに食器を乗せて、食事を盛ってもらいます。
            アシュラムの食事は軽めでした。席も学校風。。。最後は自分で食器を洗って返します。


            帰りには、先日受け取れなかったサリーを受け取り(息子がバイクでここまで届けに来てくれました)そして、さすがに歩いて帰るには遅いので、ムケーシュがアシュラム外で偶々居たリクシャーに値段交渉してくれました。さすがに慣れたもので、自分たちで交渉するより安く乗れました。

            無事ラムジュラまで到着。明日は皆でサリーを来てお出かけです。

             
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            インド研修〜7日目〜その夜

            2014.05.15 Thursday 14:29
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              そう言えば今日はクリシュナの誕生日、
              昨日教わったニケタンのプージャとアラティーは既に終わっておりました。。。。

              ちょうど終わって間もなくだったので、通りは人でごった返しておりました。

              終わってはしまいましたが、やはり気になるので会場の方に行こうとの話だったが、先ずはホテルへ寄ります。
              前回も言った通り、レストランでは注文してから出て来るまでが異常に長いので、どうせなら先に注文してから、時間を合わせて帰ってくれば良いという事を7日目にして大発見。
              レストランのスタッフに伝えると、可能な様子。
              時間は何時と聞かれたので、いつも待たされる1時間後位を設定したら、その時間は既に予約の人が居るから、もう少し早い方が良いと。。。それじゃいつも待たされる時間より早いけど大丈夫なの?と聞くと大丈夫との事。。。ホントかよとか思いながら、レストランを後にする。。。

              ニケタンのアラティー会場に降りていく。
              途中会場で使ったであろうスピーカー等を引き上げるインド人ローディー達に邪魔者扱いされたりなんかして。。。
              機材第一。。。こういう所はなんか日本のローディーも一緒だね。

              まぁそんなこんなで、会場の中へは靴は脱がなくてはいけません。


              奥に見えるのが・・・

              暗くて分かりませんね。。。。

              ハヌマンです。


              ラーマへの忠誠の証にむねを切り裂きはラーマとシータの像を示したという伝説の通り、胸にラーマとシータの像が。。。けっこうグロテスク。。。



              アラティーの後。。。



              川辺に揺れる炎。。。



              そんな感じでリシュケシの夜は更けていきます。


              そしてあまり期待せずにレストランに入ると、何と料理が用意されているではないですかっ!!
              スタッフもしたり顔でこちらを見て笑っています。
              『やれば出来んじゃん!!』等と言いながら食事をしていると、
              他の客、クリシュナの誕生に合わせて来たお客さんだろうか団体客がテーブルで待っていたが、待てど暮らせど料理が来ないので、出て来るのを待たず、少し怒りながら帰っていきました。

              相変わらず、やる事がぶれない。。。
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              インド研修〜7日目〜

              2014.05.12 Monday 15:26
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                元々インドに来る前の日に高熱出して寝込んでいた北川さんは、インドに着いても暫くは引きずっていましたが、何とか復活して、朝のヨガにも出るくらいでした。
                それは多分リリー先生の献身的な介護があってのこと。。。。
                食事の際、インドと言えばラッシーという事でレストランで注文したら
                『病み上がりにそんな物飲むんじゃありませんっ!!』と怒られ。。。。
                またある時は、チャイを頼んでも
                『病み上がりにインドの水を沸かしたもを飲むんじゃありませんっ!!』と怒られ。。。。。(悲)
                飲みたいの飲ましてあげれば。。。と言ってみたけれども、断固として飲ましてもらう事は許されないようでした。。。。
                そんなリリー先生の優しさ溢れる体調への気遣いに、北川さんも元気を取り戻したようでした。

                ここ最近ではカレーにも飽きて来て、カレーではない物を食べようと、パスタ(一応イタリアンとか中華とかイスラエル料理がメニューにはあります。)とか食べてみたけど、やはりどれも食事は重く(パスタもトマトのクリーミーなソースがタップリ掛かっていて、基本的に野菜があまり入っていないので、単一な重い味の一皿となっています。)それでも色々試している頃でした。
                朝のナーダ・ヨガの練習後、パドミニ先生が気を利かせてくれたのか、ラクシュマンジュラの方においしいお店があるとの事で連れて行ってくれました。

                リクシャーもパドミニ先生のお陰ですぐ見つかります。当然料金も正規の値段の一人5ルピー。パドミニ先生は流石だなと思う瞬間でもあります。
                パドミニ先生はレストランまで案内すると、一人アシュラムに戻って行きました。(お〜い)

                初日に寄った雑貨屋の上にあるレストランでイスラエル料理のパラフェルとミントティー。。やっと重い料理から解放されました。。。。

                デザートもおすすめです。マヒロ先生は別の日に来たときもまた頼んでいました。

                レストラン屋上にも登る事が出来ました。中央に見えるのがラムジュラの橋です。このレストランは地図的にはラクシュマンジュラと中間地点にありますが、リクシャーでラクシュマンジュラまでと言うとここで降ろされます。



                今回は初日のパドミニ先生の案内の時とは、逆方向でラクシュマンジュラの橋へと向かいます。
                初日の曖昧な記憶を頼りに進んでいくので、気がつくとここは違うだろという場所にぶち当たります。

                後ろの老人がカメラ目線!!

                リリー先生以上に笑顔

                目が合ったりなんかして。。。



                なんとかラクシュマンジュラに到着。




                ラクシュマンジュラの袂のカフェに寄りちょっと休憩しながら、この後の相談。
                前回サリーを買ったものが出来上がって、サリーのお店の息子が開いているお店に18時に届いているはずだからという話があり、取りにいかなくてはという話があってそれに合わせて戻ろうという話になり、橋を渡っていると時間が微妙だと言う話になって、折角ここまで来て引き返します。

                引き返しながら、途中の店を物色。
                マヒロ先生は鼻ピアスを探していました。というのは昔インド雑貨店で売っていた鼻ピアスはピンが細く、湾曲している物だったのが、最近はピンが太く、真っすぐな物しか無く、本場のインドならと探していたのです。
                が、やはりインドでも求めていた物は見つからないようでした。

                そんな商店が並ぶ細い路地の階段を抜け暫く歩いているとリリー先生が気がつきました。

                帽子が無いっ!!

                記憶ではその細い路地の階段の途中で立ち寄ったお店では持っていた記憶があるとの事。
                待たなくていいから、先に行っててとのこと。。
                折角登った階段をまた降りて登るのはどうもというのがあり、お言葉に甘えて。。。

                細い路地の階段を上った所にホテル・ニルヴァーナ発見っ!!
                泊まっているホテルとは全く関係ありませんが。。。


                お昼に寄ったレストランの1Fの雑貨屋に寄って、見ているとリリー先生達が到着。
                帽子は見つかったとの事。聞けば。。。。

                寄ったお店に行ったり、一旦階段を下まで降りても見つからず、再度登っている途中で発見したとの事。

                脇の側溝の中で・・・・
                特に激しく汚れている訳では無いのだけれどもとにかく

                臭い・・・らしい
                持っていたビニール袋に入れて、帰ったら洗濯するらしいです。

                で、再びリクシャーに乗ります。
                やっぱりパドミニ先生が居ないからなのか、そう言う物なのか乗り合いで一人10ルピー
                下りの方が楽な気がするけれども・・・
                乗り合いで同乗するのはネパール人らしきのオバァちゃん達、自国の言葉で色々話しかけてきますが、さっぱり分かりません。
                こちらが何か言うたびにケラケラ笑っていて、とても楽しそうです。なんだかんだとホッコリする場面だったりします。

                さてラムジュラに到着して、息子のお店に向かうと
                ???聞いてないよ・・・との事。
                翌日パドミニ先生に聞いたら、そんな感じで受け渡せば良いねで話が止まっていたらしいです。


                そんな事は関係なく再び二人の買い物が始まります。


                 
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                インド研修〜6日目〜まだ6日目?

                2014.05.09 Friday 10:45
                0
                  そう、まだ6日目なのだ。

                  マハリシのアシュラム跡からホテルに戻って来て来たのが、18:00。。。
                  以前サッチンからニケタンのアラティーは有名だよと言われてて、まだ行ってないのくらいの事を言われていたので、
                  このタイミングで行く事に決定。

                  チョー人だかりのアラティーです。子供達のチャンティングが始終流れています。



                  このアラティーの前にこちらの会場では、高名な先生のレクチャーが行われていましたが、ヒンドゥー語なので何言っているか分かりません。同時にキルタンも行われていて、タブラの演奏もあり近くで見たかったのだけれどもあまりの人だかりで前に進めず断念。このレクチャー終了後、会場の人が大移動して先程のアラティー会場に。写真は大移動後。



                  次第にガンガを夕闇が包んでゆきます。


                  アラティー後もう一度レクチャー会場に行くと、一般人は最前列には行けないよう柵がしてあり、この最前列部分、いわゆるアリーナ席は、いる人のサリーを見てみてもかなりの金持ちしか居ない事が判明。それにしても散乱するペットボトルの量が。。。


                  そして中にヘナタトゥーの女性を発見

                  聞くと主催者の方でした。。。翌日はクリシュナの誕生日だからもっと盛り上がるわよっとの情報ゲット!
                  行くしか無いっ!!


                  ホテルについてからも



                  と、、、、、


                  ここで終われば良いのだが、事件はまだ続く。。。。
                  ホテルのレストランで皆で食事という事になり、部屋に荷物を置いてレストランに集合。
                  ちなみに、このホテルの唯一の欠点はレストランで、注文してから出て来るまで異常に時間が掛かるのだ。大体1時間位。。。
                  おまけに部屋ごとに会計を別にしてと毎回言っても合算したり、皆が同じ物を食べたいという事になって、一人が4人分頼んだらその人に全部会計付けられたりなど、色々問題があるのだが、どうしてもここで食べなくてはいけない状況になっていたのだ。

                  というのもインドは現金主義でカードが使えない。カードが使えるのがホテル等一部のレストランで、物価も安いから、そんなに現金は必要ないとの前情報を基に、そんなに現金を用意していなかった。
                  普通の観光なら特に問題ない額だったのだが、僕たちはナーダヨガの先生にもお金を払わなくてはいけないのと、Dohlakを買わなくてはいけないのと、一番響いたのがサリーを現金で買ってしまった事で、現金が足りなくなってしまったのだった。
                  ちょっと頼りにしていたリリー先生も同じく現金でサリー買ったり、同じくそんなに現金要らない情報を基に大金は持って来ていなかったのだ。
                  チェックアウトの時にまとめてカードで清算出来るので、仕方なくこのレストランを利用していました。

                  家に行けばあるのに〜と思いながらその状況に一同、ドヨ〜ンとなっていました。

                  ということでカードキャッシングできるかもという希望でリシュケシにもATMがあったので、日中ボクのカードでやってみたのですが上手くいかなくて他の方法を考えている最中、どこかでクレジットカードを落としてしまったのでした。

                  多分ニケタンのアラティーの時というのは分かっていたのですが、既に暗闇の中、うんこを気にしながら探しにいくのも・・・という状況なので諦めて、とりあえずカードを止めて使用された形跡がないのと、仮に使おうと思ってもリシュケシでは使える場所がないので安心だったのですが、落としてしまった事実にマヒロ先生から嫌みを言われ、ボクは更にドヨ〜ンとなっていくのでした。

                  怒られるボクを見てリリー先生も北川さんも更にドヨ〜ンとしています。

                  それを見てボクは更にドヨ〜ンとなってきます。
                  ドヨ〜ンのループ現象。。。。。
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                  インド研修〜6日目〜マハリシのアシュラム

                  2014.05.08 Thursday 11:39
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                    マハリシのアシュラムから見るサンセットが素晴らしいとの情報を基に、ニルヴァーナ・ホテルのマネージャーのサッチンさんと相談して4:30にホテルを出発するとちょうど良いとの事でホテルのレストランで待ち合わせ。早速出発です。

                    北川さんがウェブで調べた情報ではホテルから結構距離があるとの話、
                    そんな中、町と反対方向の山道に入っていきます。
                    サッチン自ら案内するのだから、きっと車かなんかで行くのかなと思っていたら、

                    歩いていくとの事。。。undefinedundefinedundefined

                    炎天下のビーチを歩き疲れていた後だったので、また歩くのか。。。と思いながら、草履じゃなくて運動靴履いてくれば良かった等と考えていました。

                    獰猛なモンスター達がボクらの前を遮ります。


                    途中の山道には牛の頭部の骨や背骨等が落ちています。悲鳴を上げるマヒロ代表。。。undefinedundefinedundefined

                    サッチン曰く野良牛達の骨で、弱ってくると人が居ない此処に来て最後を迎えるのだそうです。

                    そんなこんなしていると、あっという間にマハリシのアシュラムに到着。意外と近くてビックリ!





                    こんな瞑想小屋が100以上あります。


                    そしてジョン・レノンが使用した瞑想小屋がこちら。ジョンが好きな数字が9だったらしく小屋の番号も9です。探すのも楽。


                    建物は2階構造。中は落書きだらけ。。。


                    2階はドーム型。本来はこんなペイントはされていませんよ。


                    2階の窓から屋上に出られます。屋上部分で隣の小屋と繋がっています。


                    ポストなんかもあったりします。


                    廃墟ながら、管理はされていてゴミが散乱している事はありません。


                    レクチャー・ホール。リリー先生講義中?



                    天井は今にも落ちてきそう。。。


                    そこから先に進み宿泊施設を横目に通り過ぎます。




                    瞑想施設の入り口。

                    そして地下の瞑想施設に入ります。マヒロ先生ビビっとります。

                    手前の4つの部屋でビートルズの4人が瞑想したそうです。





                    その後はマハリシ邸へ


                    廊下天井に見える空調の配管。意外と近代的。

                    ガンガを一望出来るなんて、当然ながら良い所住んでいたようです。



                    マネージャーのサッチンはこのアシュラムで生まれたらしく、本当か嘘か分かりませんが、マハリシが瞑想しながら数分間空中に浮いていたのを3度見たと言っていました。将来的には仲間とこのアシュラムを整備してちゃんと公開出来るようにしたいと言っていました。
                    また別の情報ではファイブスター・ホテルを建てる計画もあるらしいので、そうすると小綺麗に整備されてしまうかも知れません。この感じを味わうのは今しかないかも。。。

                    ちなみにマハリシとビートルズについてどっかのサイトから引っ張って参りましたので、興味がある方はどうぞ。

                    マハリシとビートルズ:本当は何があったのか?
                    筆者:トム・マッキンレイ・バル

                    ビートルズは1968年にマハリシと出会い、リシケシでマハリシと数週間を過ごし瞑想を学んだ。ビートルズとマハリシの交流について、マスコミでは多くの報道がなされ、インターネットでもその話題が取り上げられている。けれども多くの人々は、ビートルズがマハリシや超越瞑想の世界的な運動に影響を与えた以上に、マハリシがビートルズに影響を与えたことについては何も知らない。

                    マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは2008年2月5日に逝去した。ビートルズがリシケシを去ってからおよそ40年後のことである。ジョン・レノンはマハリシに再び会うことはなかったが、何年か後に電話を通して、彼の若気の至りが起こした不幸な出来事についてマハリシに謝罪した。その出来事とは、マハリシが不正行為を犯したという非難をジョンが公然と行ったことだが、それはマハリシにとってまったく謂われのない非難であり、すべてはジョン自身の激しい気性から起こった出来事のようだった。

                    000147e810dr.jpg「僕は今でもTMをしている」と、後年ジョージ・ハリソンは語っていた。「マハリシは僕らのためになることだけをしてくれた。あの時以来、僕の体はマハリシから離れたところにいたけれど、心は決してマハリシから離れたことはない」。一九九二年、ジョージは英国における超越瞑想とその他の「意識に基づく」プログラムを支援するために慈善コンサートを開催した。

                    ポール・マッカートニーとリンゴ・スターも瞑想を続け、二〇〇九年四月には、超越瞑想の学校導入を促進するための慈善コンサートを開催した。「クレイジーな60年代の終わり、自分を安定させる何かを探し求めていた時に瞑想と出会った」とポール・マッカートニーは語っていた。「それ以来、僕は40年間瞑想を続けている。狂乱のただ中にあっても、瞑想のおかげで平穏な時間が得られるようになった」。

                    リンゴ・スターも次のように述べていた。「瞑想はマハリシからの贈り物だ。これまで人からもらったものの中で、本当に大切だと思えるものは少ない。瞑想は、その数少ないものの1つだ」。

                    ビートルズを甦らせた「超越」の体験

                    maharishi_withbeatles.jpgマハリシの逝去に際して、ニューヨーク・タイムズはビートルズとマハリシの交流を「再評価」する記事を掲載した。長い歳月が過ぎた後にマスコミがようやくこの件を正しく伝えるようになったのは喜ばしいことだ。

                    「インドでの経験」、すなわちビートルズがマハリシと共に過ごして超越瞑想を実践したことで、ビートルズの創造性はせきを切って流れ出し、そして「彼らはマンネリ状態に陥ることの恐怖から抜け出した」とタイムズの記事は報じている。

                    その記事はさらに、マハリシと過ごした時期はビートルズの人生でもっとも生産的な時期であったと表現し、次のように記している。

                    「マハリシと出会う前、ビートルズは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』をリリースしていた。そのアルバムを作ることの意義のひとつは、ビートルズであるというストレスから生じた不活発な状態に打ち勝つために、ビートルズではない架空のバンドを装うことにあった。このアルバムにはビートルズのもっとも素晴らしい音楽が何曲か入ってはいるが、アルバムに入れる他の曲を作るのに苦心惨憺していた。だが、リシケシで過ごした後、ビートルズは持てあますくらい多くの新曲を生みだすようになっていた」。

                    ビートルズ通の人々や音楽制作者たちの多くが、「ホワイト・アルバム」をビートルズの最高傑作と考えている。だが、ビートルズのインドでの経験、そして「内面から変わる」ことの影響が、彼らの創造性と作詞能力を高めたことに気づいている人は少ない。マハリシの教える瞑想法は、すべての人の内側に備わるエネルギーと創造性の無限の宝庫を利用するための方法である。活力を取り戻し、創造性を高める「超越」の効果をビートルズが立証してから40年。現在では、何百もの科学的研究が、超越瞑想を通じて創造性が刺激され、人生のあらゆる面に効果がもたらされることを証明している。

                    しかし、ビートルズのインドでの経験に関するマスコミの報道は、ジョン・レノンがマハリシのアシュラムから突然退去したことをめぐる扇情的なエピソードに関するものがほとんどであった。

                    本当は何が起こったのか?
                     
                    Beatles---The-White-Album-Poster-C10030208.jpegほとんどの報道記事では、ビートルズが去ったのは彼らが幻滅したからであるとしていた。ビートルズ自身も、去った理由についてそれぞれのメンバーがいろいろなことを語った。最近、タイムズ・オブ・インディアは、瞑想のコース中にビートルズがドラッグを使用したためにマハリシが彼らに退去を求めたのだというジョージ・ハリスンの談話を掲載した。

                    ただ何かしらジョン・レノンを不機嫌にさせる出来事があったことも間違いない。レノンは、「セクシー・サディー」という曲の中で、マハリシを過激に批判する言葉を入れた。レノンの非難についてマスコミは大げさに騒ぎ立てたが、マハリシが不正な行為をしたという主張は、結局なんの根拠もないことが明らかになった。

                    1980年にレノンが亡くなって数年後、ハリスンとマッカートニーはマハリシへの非難について公の場でコメントした。マッカートニーは、不正行為というのはアレクシス・マーダスによって立てられた噂であり、「マーダスは発明家という触れ込みのペテン師で、ビートルズの内部関係者の中に入り込んできた男だった......」と語っている。多くの消息筋によれば、マハリシの不正行為という噂は全部彼がでっち上げたものであり、不幸なことに、レノンはその噂にだまされてしまったのだ。ジョン・レノンの最初の妻であるシンシア・レノンも、その噂はビートルズがマハリシから影響を受けるのを邪魔しようとしてマーダスが捏造したのだと自伝の中で述べている。

                    ハリスンは後年、「今となっては昔のことだが、あってはならないことが起こっているという噂が持ち上がった。だがそれはまったくのデマだった。... その当時は少し変な連中がまわりにいて、ボクらもそんな連中の一人だったのさ」と語っている。

                    マッカートニーも自伝の中で同じように語り、またマハリシの逝去の際に公表した声明の中では、こう述べていた。「マハリシの永眠に深い悲しみを感じてはいますが、彼との思い出は楽しいものばかりです。彼を想うとき私はいつも微笑みを浮かべることでしょう。」

                    001.jpgビートルズの中では瞑想への「入れ込み」が最も少ないと言われていたリンゴでさえ、著書の中で、今でもマハリシから授けられたマントラを使って瞑想していること、そして、リシケシで過ごした時期が彼の人生で最高の経験の一つだったことをつづっている。二〇〇八年二月、リンゴはマハリシについてこう語っていた。「私が人生の中で出会った最高の賢者の一人がマハリシだった。私はいつも、彼が喜びに満ちていることに感銘を受けていた。」

                    ザ・ヒストリー・チャネル: 記録を正す
                    誰が誰に影響を与えたのか

                    瞑想の教師としてマハリシが大きな成功を収めたのは、ビートルズのおかげだろうか? それとも、マハリシの業績は彼自身の教師としての能力の結果であり、TMが人々の人生にポジティブな影響を与えてきたからだろうか? 

                    50年にわたって超越瞑想は世界中の何百万人に教えられてきた。そして、ハーバード大学メディカルスクール、 UCLA、スタンフォード大学、イェール大学など230以上の研究機関で、600件を超える科学的研究が行われてきた。こうした研究によってTMの効果が証明された現在、超越瞑想の成功の原因を一組のロックバンドだけに帰するのは無理な見方というものだ。アメリカ国立衛生研究所は、脳機能や心血管系の健康に及ぼす超越瞑想の影響を研究するために、これまで2400万ドルの資金を提供してきたが、こうした研究はロックンロールとは何の関わりもない。そんなことで、これだけの資金が提供されるわけはないのだ。

                    ビートルズが関与したことで、マハリシと超越瞑想に一般の注目が集まったのは確かだが、それらの報道はマハリシに対して批判的なものが多かった。長い年月が過ぎ去り、今では超越瞑想がビートルズのおかげで「成功」したのではないことは明らかである。

                    002.jpgそして40年を経た今、ビートルズは再び人々を瞑想に導いている。ポール・マッカートニーは、超越瞑想を学生たちに普及させるために「変化は内側から始まる」と銘打った慈善コンサートを催した。このコンサートは2009年4月に、ニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールで開かれ、シェリル・クロウ、ドノヴァン、ベン・ハーパー、モービー、ポール・ホーン、ビーチボーイズのマイク・ラブ、パール・ジャムのエディ・ベッダー、その他多くのアーティストが出演した。

                    オノ・ヨーコさえも観客席の中にいた。彼女は『ローリングストーン・マガジン』の取材を受けてこう語っている。「ジョンがもしここにいたら、まっ先に、マハリシの世界への貢献を認めて、感謝を捧げていたと思うわ」

                    ビートルズの曲の中には、マハリシからインスピレーションを受けて生まれた、ポジティブな曲もたくさんある。「アクロス・ザ・ユニバース」もそうした曲の一つであり、ジョンはこの曲の歌詞を彼の生涯で最高の作品だと考えていた。

                    「地上の天使」

                    Maharishi-Mahesh-Yogi.jpg過去にいろいろなことが起こったが、マハリシがビートルズに反感を抱くことは決してなかった。一九九一年にハリソンがオランダにいるマハリシを訪問したという記事がタイムズ・オブ・インディアに掲載されたが、その記事には次のようなエピソードが紹介されていた。

                    ビートルズ伝承によると、ビートルズがアメリカのテレビに初めて登場したとき、その時間帯にはアメリカでほとんど犯罪が起こらなかったという。「私がこの話を聞いたとき」と、マハリシは訪問中のハリソンに言った。「ビートルズは地上の天使のようだと思いました。ジョンが何を言ったか、何をやったかは大したことではありません。私には天使に腹を立てることなどできません」。マハリシから、このような無邪気で心温まる返事を聞いたとたん、ジョージは泣き崩れて嗚咽した。

                    マハリシは五〇年以上にわたって、生命の本質について詳しく説いてきた。しばしば「意識の分野のアインシュタイン」と呼ばれるマハリシは、失われていた瞑想の技術を復活させ、その瞑想の効果を科学的な実験によって証明してきた。有史以来、一つの瞑想法がその教師の存命中に六〇〇万人の人々によって学ばれ、そしてそのような証明可能な効果を生み出したという記録は他には存在しない。

                    そしてマハリシは、ビートルズの心と理性を、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」よりもはるかに素晴らしい真実へと導いた。その真実が彼らの人生を永遠に変えたのだ。
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                    インド研修〜6日目〜トリオ・ザ・インド

                    2014.05.03 Saturday 11:42
                    0
                      午後はリリー先生達とビーチに行きます。
                      ビーチと勝手に言っていますが、海では無いのでビーチではないのかも知れません。
                      ただ川辺が砂浜の部分が点在していて、特に砂浜の部分が広い場所に今回は宣材写真を撮りにいく事となりました。

                      砂浜にももれなく野良牛。。。

                      通り過ぎる時に気を抜いていると、ベロ〜と舐められます。


                      地元民だけでなく、他の地域から観光客なのか、結構賑わっています。


                      ラムジュラの橋のすぐ側。リシュケシは地図でみても、とても狭い範囲で1日あれば歩いて全部廻れる位です。


                      絶好のロケーションでの撮影です。WSのポスターに使えそうなのが沢山撮れました。




                      撮影をしていると日本人が珍しいのか、勝手に写真を撮られます。
                      そうこうしていると学生風の3人組が一緒に写真を撮って欲しいと声をかけてきました。
                      シク教の方々でインド人のイメージはコレと言われる位の頭にターバンを巻いた人たちです。

                      トリオ・ザ・インド(勝手に命名)

                      来月日本で芸人デビューするらしいです。
                      (ウソですが)
                      狙ったかのような三人とも原色色違い!キャラもちゃんと立っています。
                      俺は座って撮りたいとか俺は立って撮りたい等3人で言い合っているのがコントのようで笑えました。

                      撮影は広いビーチの中で場所を変えながら、進んでいきました。
                      強い日差しの中、このまま川に飛び込んでしまいたい位でしたが、川の水はやはり冷たいので断念。
                      というよりはパンツ一丁になるのは、ちょっとというのがあり、次回は水着を持って来ようと思うのでした。

                      そんな訳で沢山撮り貯めた後は、ビートルズの四人が瞑想を学んだマハリシのアシュラムに行きます。
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                      インド研修〜6日目〜猿

                      2014.05.02 Friday 14:58
                      0
                        前日の夜。洗濯物を干そうと(インドでは着替え数枚を洗濯しながら着回しします。日中干しておけば、すぐに乾いてします)
                        マヒロ先生がベランダへ出ると人影があった。慌ててベランダの扉を閉める。此処は4階・・・そ〜っともう一度扉を開けると、人影ではなく、それは猿影でした。ベランダに座って涼んでいたのでしょうか。
                        マヒロ先生が追っ払おうと奇声を発すると、同じく奇声を発して逃げていきます。逃げると言っても隣のリリー先生の部屋のベランダへ。。。ベランダ越しに覗くとやはりリリー先生の部屋のベランダにちょこんと座っていました。余程リリー先生に伝えようか迷ったのですが、夜も遅いし良いかという結論に。ついでに下の部屋のベランダを覗くとやはり別の猿達がベランダに座っていました。ホテルに初めて来た時に不在時ベランダの扉を閉めておかないと猿が入ってくるから気をつけてと言われたのを思い出しました。外に洗濯物を干すのはやめて戸締まりを再度確認して就寝する事になりました。


                        翌朝目を覚まし、いつものようにモーニング・コーヒーを楽しもうとベランダへ。一応前日の夜の件があったので、恐る恐るベランダへ。。。とりあえず大丈夫そう。リリー先生のベランダにも猿は居なさそうです。下を覗くと猿は居ませんでした。
                        が、しかし

                        見事な猿のウンコが置いてありました。

                        昨日のうちに追っ払っといて良かったと胸を撫で下ろしました。

                        リリー先生がドアをノックします。どうやら前日ヨガクラスを受けた人は翌日からアイアンガーの朝練(アシュタンガで言えばマイソールのようなクラス)を受講出来るらしく、そこに行くけど、どうするかとの事。ボク達はナーダ・ヨガの練習があるので、そっちを優先。北川さんも朝練に行くようでした。
                        とそう言えば。。。と切り出し北川さんが『昨日何かおじさんが咳きしているのが聞こえたから窓越しに覗いたんだけど誰も居なくってさぁ、怖かったんだよね・・・』と、するとリリー先生が続いて、『そしたら朝起きてみたらウンコがあるじゃないっ!!何なのっ!!』と。。。。

                        そ、それは。。。。ウチが追っ払った猿です。。。。

                        とりあえず、ルームサービスに掃除してもらえばという事で、二人はヨガへ出かけていった。

                        そしてDohlakの練習が始まります。
                        前日より音が出るようになり、安定してきました。
                        ナレーシュ先生もこれには結構驚いていました。
                        そこでパドミニ先生に訳してもらって、ボクが以前思った「この2パターンをクリアしなければ、何も先に進まない事がよく分かったから、出来るだけ自分で出来る事はやって、先生達が来ている時は意味のある時間にしたい」と言う事を伝えました。
                        すると納得してくれたみたいで、もちろん基本のパターンは毎回練習しますが、その日から一つづつパターンを増やしてくれるようになりました。
                        そして応用としてマヒロ先生の練習に合わせて、リズムを刻む練習もやるようになってきました。
                        またはじめ片方のパターンでやっていて、どんどんテンポが早くなっていき、最終的にもう片方のパターンに切り替わるという事も教えてもらい、この基本の2パターンを何故やって来たのかの意味も分かるようになってきました。

                        俄然Dohlakが楽しくなってきました。
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