インド研修で一番嫌なのが、このタクシーでの移動だというのは以前にも書いたのですが、やはり辛いものがありました。
今回は女性陣2人は当然の事ながら、中央の座席。
当然と言いますか必然的に助手席はボクとなりました。(まぁボク以外はなんだかんだと体調不良なので致し方ないのですが。。。)
この助手席はリクライニングも付いているし良い席なのではないかと思われるのですが、それはあくまでも日本での話で、
運転の荒いインド人の運転を隣で見ているのは心休まりません。
寝てしまえば良いのですが、6時間の運転を自分がしなくてはいけないと考えた時に、途中休憩があっても結構キツい。
おまけに助手席で寝ていられたら、かなりムカつきます。
更にマヒロ先生から『運転手が寝ないように話しかけたりしてね』等と言われ、余計寝る訳にいかなくなってしまいました。というマヒロ先生他2名は早々に寝ていましたが。。。
帰りの道は来たときの道と違い、意外とちゃんと舗装され、あまり人がいない道を使ったようです。いわゆる町中ではなく運河沿いなのか整備された川を横目に走っていました。なので比較的安心して乗っていられました。
携帯のGPSがきいていたので、たまにGoogle mapを見て、現在地を確認するのが長い道のりの暇つぶしとなりました。
途中川沿いに発電所を見つけて、インドは水力発電なんだという発見があったりしていると、そのうちやっぱり来た時に通った車線があるのか無いのか分からない状態の悪路を通る事になりました。
インドでは日本車のSUZUKIを良く見かけました。
アルトとワゴンRがほとんどで、日本車はスピードも速いというのもありますが、乗っている人は大概運転が荒かったです。
ワゴンR同士でレースでもしているのでは無いかというくらい抜きつ抜かれつやってました。
こういう所はインドも日本も変わらないようです。
空港まで半分くらいに差し掛かった頃、外を見ながら、道沿いの茂みに目を凝らす。こ、これは。。。。
その後休憩があり、トイレを済ませて気になる茂みを確認に!
やはり
間違いありません。葉っぱです。日本では色々と問題のある葉っぱです。
こんなにいっぱいはえているなんてっ!!
誰かに見せたら卒倒してしまいますが、これから日本に帰るのにどうする事も出来ないので、写真だけ。。。。
ずっと辛かったけれども、これで一気にテンションが上がります。
が、まだまだ中間地点。まだまだ道のりは長い。
来たときは真夜中のため、周りの風景が分からなかったけれども、都会に近づくと高層マンションや学校など色んなものが見る事が出来ます。インドも都会では開発が進んでいるようです。
そして、だんだんと日も暮れてきて、デリーに近づいてきました。
やはりデリーは都会で人の量がリシュケシとは比べ物にならないくらいに多い。
ほとんど信号の無い交差点を車、リクシャー、バイク、自転車、人、牛が行き交うので危ないったらありゃしない。
行きは人がほとんど居なかったので大丈夫でしたが、時間帯でこんなにも違うものなのかというくらい。
何処をどう通ったのか、一行はなんとか空港へ着く事が出来ました。
荷物を下ろし運転手に料金とチップを渡し、いざ空港内へ。
ちなみに空港施設内に入るには入り口に兵隊?警官が立っていて、Eチケットとパスポートを提示しないと入れてくれません。
前情報で知っていたので、あらかじめ準備してたので、すんなり入る事が出来ました。
出発は深夜3時の出発。タクシーでの移動は渋滞や車の故障で遅れる事があるかもしれないとの事で、余裕を持ってリシュケシを出たという事もあり、まだまだ時間が余りまくりです。
途中寄ったトイレはインド伝統のトイレなので、ゆっくり用を足せなかったので、空港の清潔なトイレでやっと気兼ねなく済ませる事が出来ました。
皆お腹がすいたとの事で、軽く食事をしたいと空港の中の喫茶店等を物色していました。カレー味のものは食べたくないので色々探しまわります。
ボクはと言うと、タクシーでの疲れなのか食欲も無く、ただ座りたいというのがありました。
やっとめぼしいカフェを見つけて座る事が出来ました。
座る事が出来たら、さっき済ませたばかりなのに、またもようしてきました。。。
おかしいなと思いつつトイレに行くと。。。。
き、来ました下痢・・・
トイレから戻って来たボクの脂汗と青ざめた顔を見て、皆さん察知したようです。
カフェで頼んだ食事がやはりカレー味だったとか横で聞くだけで、想像して気持ちが悪くなってしまいます。
とりあえず日本から持って来た正露丸を飲む事に。。。
ハッパでテンション上がったら、ラッパのマークにお世話になってしまうとは・・・
体調が悪いと言う事もパッとしない・・・。
その後はずっとグッタリしていたので、もうそっとしておいてって感じで寝ていました。たまに胃を締め付けるような痛みが襲って来て、その度に悶絶していました。
ちなみに他3名は、いつの間にか体調も戻ったのか元気にインドの最後の思い出に空港内を散策しているようでした。
飛行機内で席が空いているようだったら、CAに言って横になって寝させてもらえば良いやと思っていましたが、見事に満員。
それでもこんな時はどんな形でも寝られるもので、後からマヒロ先生に聞く所によると隣でインド人同士の喧嘩があったみたいですが、そんな事も気づかない位に爆睡していたみたいです。
インドから上海までの飛行機の中ではずっと寝ていたお陰か、上海に着いた時には幾分か気分が楽になっていました。
またトランジットの為、数時間待たされながら軽く食事を取った後、
ベンチでずっと横になって天井を眺めておりました。
そして何時間かかったのか忘れてしまう位かけて、やっと、ホントにやっと日本に到着出来ました。
帰りは空港近くの格安パーキングに停めておいた自家用車で帰ります。
空港からの一般道、高速道路ともに当然ながら舗装され。
これまた当然の事ながらみなさん車線を守り、
誰もクラクションを鳴らしませんっ
いつもの日常に戻ったのに何故か日本の静かさを一段と感じました。
特に都内に入り、久しぶりの池袋はいつものようにネオンが煌々と光っていますが、どことなく静かです。
リシュケシのど田舎っぷりと、それでいて活気のある雰囲気とは真逆です。
ウンコを踏む事を心配しないで済む日本はやっぱり良いねぇ等とつぶやきながら、家路へと帰るのでした。
そして1ヶ月が経ち、
こうして写真を整理しながらブログを書いていると、書ききれない程の思い出が溢れてきて
目を閉じると、ガンガとリシュケシの人々の風景を未だに思い出し
またリシュケシに行きたいなと思うのでした。